いつかは日本人学校で

 1 日本人学校をめざしている皆さんへ

 「いつかは在外の教育施設(日本人学校・補習授業校)で勤務したい」・・こう思って頑張っておられる日本の公立小・中学校教員の皆さんへ、加瀬 忠が 体験を通して、皆さんにエールをおくります。
 以下は、私・加瀬 忠の体験談です。

 昭和39年、あこがれの中学校社会科教員として埼玉県大里郡妻沼町立妻沼東中学校へ赴任しました。
 振り返れば、高校時代に、私は二つの大きな夢を持っていました。一つは箱根駅伝の選手になること、そしてもう一つは、中学校の社会科の教員になることでした。
 学生時代の4年間は、正月の2日・3日に行われる関東大学対抗の箱根駅伝に、青春の全エネルギーを燃焼させましたね。特に最上級生の4年次には、チームのキャプテンとして4位に入賞し、今でも忘れることが出来ません。

  19世紀の白亜の殿堂そのままの
  マドリッド日本人学校


 中学校の社会科教員になってからは、部活動、生徒指導、進路指導と、いろいろなことに取り組みましたが、この間「いつかは在外の教育施設(日本人学校)で勤務したい」という気持ちをずっと持ち続けてきました。
 昭和60年、埼玉県教育局の管理主事として勤務するようになり「在外教育施設」つまり日本人学校の仕事も担当するようになりました。縁というものは不思議なものです。それまでは夢であり、漠然とした憧れでしかなかった「日本人学校」が、がぜん身近な存在に思えてきました。


 さあ、計画実行の段階だ!

 平成3年,、長かった教育局勤務を終え、小島中学校の校長として再び妻沼町へ戻りました。
 さあ、いよいよ計画実行の段階です。小島中学校2年目の平成4年4月「在外教育施設派遣教員希望者の選考について」という長い題の文書が届きました。いつもは見ているだけの文書ですが、今年は違います。待ちに待った文書です。すぐに志願書を書き、教育委員会へ提出しました。
 教育事務所で論文と面接試験、次は県教育委員会で面接(個人,集団)試験、そして9月中旬、文部省の最終選考をへて、12月初旬「派遣教員候補登録者等の決定について」という選考試験合格の文書を受け取りました。
 私の場合、平成5年度は研修期間で、6年度派遣と決りました。
 したがって5年度は、熊谷市立富士見中学校の校長であり、大里教育事務所の主任指導主事を兼ね、平成6年1月からは文部省出向という、あわただしい日々を過ごしました。
 文部省出向といっても,別に文部省の仕事をするわけではなく、虎の門にある文部省で日本人学校校長としての心構えを研修し、ひき続き夕方の6時頃までスペイン語の特訓を受けるという毎日でした。

 2 あこがれのマドリッド日本人学校へ

   スペイン人対象の日本語教室


 平成6年3月31日、文部省・外務省から辞令交付を受け、4月1日マドリッド日本人学校へ赴任しました。
 太陽と情熱の国スペインでの3年間は、日本国内の中学校とは違った経験と、発見の日々でした。
 特に学校運営上、助言をいただくための大使館との連絡調整。予算でお世話になる、日本人学校の設置母体であるマドリッド水曜会との関わりと、現地進出企業のトップの方々とのレセプション等での夫妻でのお付き合いは、私にとっては今までの仕事とは異なるジャンルの仕事であり、緊張場面も多かったのですが、楽しく充実した3年間でした。

 日本人学校の校長として勤務した3年間を今振り返ってみると、やはり国内の小中学校の校長とは「ずいぶん職務の内容が違うなあ」という思いがします。

 セミナー・クラスの生徒と共にソフトボール
  大会参加

 

 日本人学校には、教育委員会がありませんから、ある事柄の意思決定をする場合、相談したり意見を聞く相手がいないわけです。すべて自分自身で取り仕切るわけで、これは、ある面でかなり厳しい状況でした。
 しかし、反面,実にやりがいののある仕事だったと思っています。
 良い教育課程の編成・実施にしても,財政再建にしても「よし、やろう」と考えたことが、学校運営に見える形で具現できると言うことは、実に心地よいものです。
 
 行政にいた頃は、自分なりの考えをまとめて起案し、回議をへて合議に回すと、決裁が出る頃には真っ赤にラインが入り,文書を学校に発送する段階では、当初起案者が考えていた内容とは別のものになっているようなことは、良くあったのですが、ここでは違いますね。
 起案文書が大使館の決裁が出ても、赤ラインがほとんど入っていないのですから、仕事に気合が入りました。

 いろいろな事をしながらも平成9年3月、大過なく任期を終え、帰国することができました。物心両面から支えていただきました多くの方々に感謝の意をこめて、スペインでの3年間をまとめました。どうぞご一読下さい。
 なお記載内容につきましては、拙著「マドリッド通信」(ポプラ社)、平成9年9月から11月まで、14回にわたり埼玉新聞に連載しました、「スペイン教育事情見聞録」(埼玉新聞社)、そして埼玉県内各地で機会をいただき、講演をしている内容をベースに編集いたしました。
 本当にお世話様になり有難うございました。                                      加瀬  忠


                             平成9年9月20日(土)、マドリッド日本人学校勤務を終え
                             埼玉新聞への連載記事執筆にあたり、書き下ろした文書です。