セルバンテスの生涯

                 − セルバンテスが投獄されていたアルガマシージャ・デ・アルバの地下牢 ー

 フェリペU世大学・翻訳学部
  PROFESOR
  加 瀬 

 
はじめに
 
セルバンテスは、生涯に何度か投獄されています。
 1587年からは、海軍(スペインの誇ったフェリペU世時代の無敵艦隊)の食糧徴発人として、また収税吏として15年の長きにわたってラ・マンチャ、アンダルシアの各地を歩き回ったのですが、この時期には銀行倒産等のトラブル、金銭上のいざこざに巻き込まれ、2度も投獄されると言う憂き目にもあっているのです。
 現地アルガマシージャ・デ・アルバに出向き、いろいろと関係資料を調査したのですが、この時に投獄された地下牢が、アルガマシージャ・デ・アルバの地下牢であると考えられますので、ここに公開いたします。
 なお、セルバンテスが投獄されていたと考えられる地下牢の写真等の資料は、日本の研究書、ガイドブック等ではまだ発表されていない資料かと思いますが、ご意見がございましたらフェリペU世大学・加瀬 忠までご一報下さい。

 アルガマシージャ・デ・アルバの地下牢
 
アルカサール・デ・サン・ファンの街からラ・マンチャの乾いた大地を南へ約35K 、車で30分程走ると、アルガマシージャ・デ・アルバ村へ到着します。ドン・キホーテ物語の冒頭部分で、「それほど昔のことではない。その名は思い出したくもないが、スペインはラ・マンチャのさる村に・・」と書かれている村が、ここ、アルガマシージャ・デ・アルバ村なのです。
 
数奇な運命をたどったセルバンテスは、生涯に何度か投獄されていますが、無実の罪で、ここ、アルガマシージャ・デ・アルバ村の「Casa de Medrano(メドラノの家)」の地下牢で屈辱の日々を過したことにより、「機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」の構想を練り上げ、あの大作が生まれたのですが、今でも村の人々はそのことを大層誇りにしています。
 
私が、アルカサール・デ・サン・ファンの街からアルマガシージャ・デ・アルバの村へ到着した時間は午後2時過ぎ、スペインではちょうどシェスタの時間です。村の役所や商店等は皆閉まっていたのですが、運よくCasa de Medrano近くの公園でお喋りをしていたセニョーラ二人に、「セルバンテスの地下牢を見たいのですが」と、いろいろ尋ねていたら、どこからともなくもう一人のセニョーラが現れて「Casa de Medranoは、4時半になると開くからね」と、親切に教えてくれました。

                
                Casa de Medrano
(メドラノの家)2階の図書室からのArgamasilla de Alba
  
        の眺め。人口6、500人の小さな寒村で、小麦とオリーブ以外は育たな
          い乾燥した厳しい気候、夏は照りつけるラ・マンチャの太陽で気温は40
          〜45度近くまで上昇し、冬は大地も凍て付くような寒さとなる。


                     
                    Casa de Medrano
(メドラノの家・写真左)と、セルバンテスが投
            獄されていた地下
の「メドラノの洞窟・写真右」。メドラノの洞
            窟へは、
Casa de Medrano入り口でチケットを購入し、階段を地下
            へ下る。


            
 
      セルバンテスが投獄されていた「メドラノの洞窟」の一番奥の写真です。私がArgamasilla
            de Alba村を訪れたのは、ラ・マンチャの初夏。日中は気温もぐんと上がって40度を超え
        る日だったのですが、地下の洞窟は意外に涼しく、思ったよりも過し易いのかも知れない。

 ミゲル・デ・セルバンテス(1547〜1616)について
 
「機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」の作者セルバンテスは、1547年にマドリッド近くの大学町、アルカラ・デ・エナーレスで外科医の子として生まれました。セルバンテスが青年時代を過ごした16世紀中葉のスペインは、フェリペU世時代の「太陽の沈むことなき大帝国」として世界に君臨していた時代であり、特に大航海時代の第三期(1530年〜1595年)前後は、新大陸における征服活動の最もめざましい時代でもありました。
 
このような時代的背景のもとに、セルバンテスは22歳で当時スペイン領であったイタリアのナポリに渡って兵士となり、1571年にはレパントの海戦でオスマントルコを破るなど活躍しましたが、左手を負傷し自由を失ってしまいます。1575年に退役して祖国スペインへの帰国途上、運悪くトルコの海賊に襲われてアルジェへ連行され、5年間にわたる奴隷生活を過ごしましたが、この間セルバンテス自身が首謀者となって反乱や逃亡を試み、英雄的存在になったとも言われています。
 
1580年に釈放されて帰国した祖国・スペインでは、レパントの海戦をはじめとした多数の戦功が一切認められることもなく、定職にさえありつけなかったセルバンテスは、文筆活動に専念しますが成功せずに苦しい生活が続きます。
 1587年からは、海軍(スペインの誇った無敵艦隊)の食糧徴発人として、また収税吏として15年のながきにわたってラ・マンチャ、アンダルシアの各地を歩き回り、この間には銀行倒産等のあおりを食って、金銭上のいざこざで2度も投獄されると言う憂き目にもあっているのです。
 海軍・無敵艦隊の食糧徴発人や収税吏というような役どころは、決して民衆から歓迎される役ではないし、加えて夏には40度を超える厳しい暑さ、冬には凍てつくような寒さの続くラ・マンチャやアンダルシアの荒野での毎日の食糧徴発や税の取立ては、仕事とはいえ、セルバンテスの人生観に決定的な影響を与えたであろうことは容易に想像出来ます。このセルバンテス自身の人生体験が、「機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」の随所に色濃く描写されています。
 
 セルバンテスの時代の小説・物語には、大きく二つの流れがありました。一つは理想主義的な傾向の騎士道物語。もう一つは徹底したリアリズムを特徴とする小説です。前者は超人的な英雄が活躍し、ヒーローとなる騎士道物語であり、これに対してセルバンテスは、ずっこけたアンチヒーローを創り出すことによってセルバンテス自身が考える現実の「あるべき姿」を描写し、受け入れられたのです。これは、セルバンテスの過去の人生そのものと重なる部分が多く、セルバンテス自身の「パロディー小説」と、位置付けることが出来るのではないでしょうか。


 英雄の誕生
    
― 本文から ―

 
「それほど昔のことではない。その名は思い出せない(思い出したくない)が、スペインはラ・マンチャ地方のある村に、槍や古びた盾を部屋に飾り、やせ馬と足のはやい猟犬をそろえた、型どおりの紳士が住んでいた。家には四十歳を過ぎた家政婦と、まだ二十歳まえの姪、それに、畑仕事や使い走りをするだけでなく、やせ馬に鞍をつければ、庭木の刈り込みもする若者がいた。そして、われらの主人公となる紳士は、やがて五十歳になろうとしていた。骨組みはがっしりとしていたものの、やせて、頬がこけていた彼は、大変な早起きで、狩が大好きであった。
 ところで、知っておいてもらいたいのは、この紳士が、ひまさえあれば(もっとも、一年中たいていひまだったが)、われを忘れて、むさぼるように騎士道物語を読みふけったあげく、ついには狩に出かけることはおろか、家や田畑を管理することもすっかり忘れてしまった、ということである。

 さて、思慮分別をすっかり無くした紳士は、これまで世の狂人のだれ一人として思いつきもしなかったような、何とも奇妙な考えにおちいることになった。つまり、みずから鎧かぶとに身を固め、馬にまたがって遍歴の騎士となり、世界中を歩き回りながら、読み覚えた遍歴の騎士のあらゆる冒険を実際に行うことによって、世の中の不正を取り除き、いかなる危険にも身をさらしてそれを克服し、かくして、とこしえに語り継がれる手柄を立てることこそ、自分の名誉をいやますためにも、国に尽くすためにも、きわめて望ましいと同時に、必要なことであると考えたのである。」

              

  
             ラ・マンチャの荒野を、愛馬ロシナンテ号にまたがり旅する。

 ― 考 察 ―

 
故郷を遠く離れて生活している人は、誰でも生まれ育った故郷がなつかしく、齢を重ねるごとに、物心がついた頃に通った学校や友・日が暮れるのも忘れて遊んだ山や川のことを思い、たまらないノスタルジアを感ずるものだと思うのですが、セルバンテスは「機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」の書き出しの冒頭部分で「それほど昔のことではない。その名は思い出せない(思い出したくない)が、スペインはラ・マンチャ地方のある村に・・中略」「そこである夜、ドン・キホーテは家政婦や姪に別れを告げることも無く、またサンチョのほうも、妻や子に何も言わずに、二人はこっそりと村を抜け出した。」と、述べています。

 
この書き出し部分でもわかるように、セルバンテスの脳裏には現実の生活に対するさまざまな思いが去来し、錯綜していたのではないでしょうか。
 レパントの海戦での戦功に対する恩賞の不公平、生涯に何度も経験する投獄生活での屈折した日々、故郷に帰っても定職さえなく、海軍の食糧徴発人として、また収税吏として夏は酷暑の、冬は凍てつくような寒さのラ・マンチャ、アンダルシアの荒野を歩き回った不毛の日々に対する慟哭の思いが、冒頭部分の書き出しとなっているものと考えられます。
 セルバンテスが「機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」前編を出版したのは、1605年、セルバンテスが58歳の時です。10年の時を経て1615年、68歳の時に後編を出版しているのですが、一般的にみて、現在のサラリーマンの定年退職年齢前後に、前編の大作をまとめ上げ、さらに1615年、作者自身が亡くなる一年前に物語全体をまとめ上げると言う、セルバンテスの一連の創作活動を振り返る時、やはり作者自身の偉大性とともに、その特殊性を考えてしまいます。

 「機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と言う名作、悠久の歴史の流れの中でも忘れ去られること無く、世界の歴史とともに生き続けている作品は、現代流に言えば、極めて「知的付加価値」の高い作品であります。これだけ「知的付加価値」の高い作品を書き上げるためには、並々ならぬ時間とエネルギーが必要であったと考えられるのですが、それを人生後半の58歳の時に前編を、そして68歳の時に後編を完結させると言う、常人では為し得ないことを、気負うことなく完結させたセルバンテスの人間的・精神的な強さを改めて感じ入るのであります。

                                         平成16年 6月 1日(火)

                                          フェリペU世大学・加瀬 忠