EU統合の歴史的必然性

フェリペU世大学・翻訳学部
PROFESOR 加瀬  忠

 
はじめに
 
2002年1月1日、EU12ヶ国は統一通貨「ユーロ」の導入をもって、完全統合をなし遂げました。
 「マドリッド通信」では、平成12年11月の第53号から平成14年3月の第67号まで15回にわたって、EU統合前後のヨーロッパを伝えてまいりましたが、この間のヨーロッパの政治・経済の収斂過程等を「EU統合の歴史的必然性」と位置付け、掲載致します。

 
EU諸国が模索する「第三の道」
 
スペインに見る「EU統合のかたち」として、21世紀の世界経済はその収斂過程のなかで、国としては日・米・EUの三極に、形としては、世界規模での競争は益々激化するので、アメリカ型の競争力のある国、企業のみが勝ち残る競争型社会の実現、もう一つはEU諸国にみる、アメリカ型の活力ある自由競争社会の良さを取り入れながらも、ヨーロッパ独自の古き良き伝統や価値観を残した成熟した大人の国家が出現するのではないか、と考えられます。
 
それでは、EU諸国が模索する「第三の道」について、もう少し私の考えを述べさせていただきます。
 
私は、平成6年に文部省の派遣でマドリッド日本人学校の校長としてスペインにやってきました。今から9年前です。当時は、EUが統合され、競争型社会が実現されれば、スペインの社会も変わらざるを得ない時代が来るに違いないと考えていました。その時期は、EU統合が完了する2002年前後なのではないか、と思っていたのです。
 
ところが、EUの完全統合は2002年1月の統一通貨「ユーロ」の市場流通を残すのみとなった今、スペインの社会はそれほど変わっていないのです。人々はシェスタの習慣を守り、神へ祈る安息の日曜日には店も閉まり、この日に働いている人は極く少数の人たちだけなのです。

 
シェスタの習慣・・そう、これこそスペインの人たちが頑として譲ろうとしない伝統的な生活習慣なのです。私は、日本人学校へ赴任した当初、スペインの人たちもこの生活習慣を改めてもう少し働けば、ずいぶん生産性が向上するだろうに・・と思ったものです。実際、スペインの生産性は年率0.44%で、EU平均の1.7%を大きく下回っているのに、午後2時から4時半ないし5時前後までは一時活動が止まってしまうのです。私も、今は急な用事があっても、午後2時から4時半までのシェスタの時間帯には電話をかけないようにしていますし、スペインの人たちはお互いにこの暗黙のルールを皆守っていますから、とても不思議に思えるのです。
 
しかし、私の人生観からするととても不思議に思えるこのことこそが、21世紀にEU諸国が模索する「第三の道」を理解する上での、キーワードになりそうなのです。

 
国家の成長・発展過程
 
国家の成長・発展過程には三つの段階があります。
 
初期には経済性・豊かな消費生活を志向した国づくり、先進工業国に追いつき、追い越せの段階です。日本では、東京オリンピック前後から「所得倍増」を目指していた時代がこの第一段階です。
 
そして、経済的にも安定し、国家として成熟した社会が構築される前の段階では、我が国でもそうであったように、社会的な安定を志向した「大きな政府」による高福祉政策がとられます。しかし、この高福祉政策「ゆりかごから墓場まで」は、経済が右肩上がりで成長し続けることが前提になりますから、当然限界があるわけです。加えて出生率が低下し、こどもの数が少なくなれば、高福祉政策は支えきれなくなるのは、自明の理であるわけです。パイの大きさは限られていますから。
 
こうしたなかでEU諸国が模索する新しい国づくりへの道は、アメリカ型の活力ある自由競争社会でもなく、かつてヨーロッパ諸国が自ら体験した「大きな政府」による「高福祉」「高負担」社会でもない、国家としての歴史や伝統、民族共通の価値観を大切にした「安定した国づくり」を求めているような気がします。 これこそ、EU諸国が21世紀に模索する「第三の道」と言えるのではないでしょうか。


  ゆりかごから墓場まで
 
社会保障制度の充実を形容する言葉。第二次世界大戦後、イギリスの労働党政権が掲げたスローガン。
 「高福祉」「高負担」が前提となっている。

 EU統合の歴史的必然性
 
2、002年1月、EUは統一通貨「ユーロ」の市場流通をもって完全統合を成し遂げます。
 
フランス、ドイツ、イタリア、スペイン等、ヨーロッパの15ヶ国が、それぞれの主権の一部を委譲して、一つの強固な統合体となるのです。
 
私は、1963年に中学校の社会科の教師となり、歴史と地理を教えてきましたが、当時ヨーロッパの国々が一つの統合体になるなど思ってもみませんでしたし、授業の中でもEEC(ヨーロッパ経済共同体)やECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)の話はかなりしましたが、歴史的な目でフランスやドイツなどの国々を見つめる時、これらの古い歴史と伝統を誇る国々が、戦争以外の方法で、自国の主権の一部を委譲することなど、私には全く考えられませんでした。
 
しかし時代は移り、2、002年1月からは、フランス人がこよなく愛する「フラン」も、ドイツ人が世界一安定した通貨と誇る「マルク」もなくなり、「ユーロ」ただ一つになるのです。
 
世界の大多数の人々が興味と関心を示して見つめ、且つ多数の人たちがその過程で疑問を投げかけた・・と思われるEUの統合ですが、幾多の障害を乗り越えてそれは完結しようとしているのです。

 
統合のバックボーンとなったもの
 
ヨーロッパで生活をしてみまして、日本では見えなかった大きな三つのものが見えてきました。そして、この三つこそが、私はEUの統合を支えた民族的なエネルギーであると考えるに至りました。
 
その一つは、ヨーロッパを舞台にして繰り返された戦争の惨禍と国民の永久平和への強い願いです。
 
実際、ヨーロッパの過去の歴史は、民族の対立・侵略、戦争の繰り返しでありました。このことは、四方海で囲まれた日本で生活をしている私たちと、ヨーロッパの人々との「平和と安全」に対する認識が基本的に異なる部分なのです。 ヨーロッパでの生活は、隣の国は海外ではありません。隣の国と陸続きであるということは、国と国との移動に物理的な障害物がないわけですから、常に隣の国、そのまた隣の国との関係において緊張関係の連続であったわけです。 ヨーロッパでは、かつて「水と平和・安全」のコストは、とても高かったのです。
 
二つ目が「キリスト教」と言う宗教をよりどころにした「共通の文化基盤」を持ち続けているという事です。
 
カソリックでもプロテスタントでも、そして正教会でも「神に祈る」、「誰も見ていなくとも、神のみは見ている」と言う神に対する畏敬の念が、ヨーロッパの人たち の連帯感を作り上げているような気がします。
 
私は、EUの完全統合実現によって、当分の間、ヨーロッパを舞台にした戦争は起こらないのではないかと考えています。統一通貨「ユーロ」が流通する事になれば、自国の通貨での戦費調達は不可能なわけですから、統一通貨ユーロの市場流通それ自体が、戦争抑止力となり得ると思うのです。
 
そして最後、三つ目が経済の活性化と言う視点です。
 
20世紀の世界経済は、競争力のあるアメリカ、日本がリードしてきました。米・日のこの強力な二大経済圏に対抗するためには、最早「統合による経済規模の拡大しか選択肢がない」と言う共通認識において、EU統合へのコンセンサスが得られたのではないでしょうか。
 
繰り返しますが、「21世紀の世界経済は、米・日・EUの三極に収斂される」と言うのが、私の持論です。
 
その根拠はEUの統合によって、名目GDP8兆5千億ドル、世界貿易に占める割合が18.0%と言う巨大市場が出現したからです。(2000年11月8日付、Yahoo Japan EUの経済より)
 
統合による経済活性化の波及効果は、需要と供給の関係による市場価格の原理が働き、現実にマーケットでの値下げ競争が加速しており、また電気、ガス、水道、郵便料金等の基幹産業料金の値下げなど、スペインでも活力ある市場が出現しつつあります。

 
統一通貨「ユーロ」流通の日
 
2、002年1月1日、ヨーロッパの国々で現在流通している各国通貨が、統一通貨「ユーロ」に切り替わります。フラン、マルク、リラ、ペセタ等、過去の歴史の舞台で主役を演じてきた通貨が姿を消し、EUの国々では新しい通貨「ユーロ」に統一されるのです。 実は、ここのところが私の理解を遥かに超えているところでありまして、長い歴史と伝統を誇る自国の通貨等、主権の一部を戦争以外の方法で委譲することなど、私の歴史観では考えにくいことなのですが、大欧州の人たちは見事にこれをやってのけようとしているのです。 ここではもう、ヨーロッパの人たち、ヨーロッパ諸国の懐の深さに脱帽です。
 
それでは、現在(2000年10月時点)はどうなっているのかと言いますと、1、999年1月1日から、2、001年12月31日までは自国の通貨が使われているのですが、デパートや主だった商店ではユーロ流通のその日に備えて、自国の通貨とユーロの二本立てで価格が表示されています。 また、小切手、トラベラーズ・チェック、クレジット・カード、銀行振込等については、今は、自国の通貨とユーロのいずれも使うことが出来るのです。

 
ペセタとユーロは固定相場制
 
それでは、私のように生活の基盤をスペインに置き、ファンドをペセタと円で分割して持っている者はどうなるのかと言いますと、ユーロとペセタは、1ユーロが166、386ペセタの固定相場制ですから、2、002年1月の時点でも交換比率は変りません。そのままペセタを持っていても、何ら変化はないわけです。
 
一方、円とユーロは変動相場制ですから、ここは景気の動向を良く睨み、しっかりと情報を収集しておく必要があります。
 
私の手元のメモで過去のデータを調べてみますと、私が再びスペインの学校へ赴任した1、999年当時の為替レートは、1ユーロが115.6円、100ペセタが69.47円でした。(1、999年10月20日付 YahooJapan Finance調べ)
 
その後、円はユーロに対しても、ペセタに対しても反発し、それぞれユーロが109円、ペセタが65円前後でもみ合っていますから、現時点では円保持者の為替差益は相当なものです。
 
しかし、2、002年に向けて、しっかりと日本の景気動向を見極め、為替相場のタイミングを失しないようにすることが大切です。為替相場は、逆の為替差損もありますから。
 
さて、2、002年1月1日に「ユーロ」の紙幣と硬貨の流通が開始された後、EU各国内通貨との併存期間は長くとも数週間で、2、002年6月30日にはEU域内の各国通貨の回収が終了します。 私の今使っている「ペセタ」が「ユーロ」に替わる。何だかすごいドラマ性がありますが、時代の大きな流れです。

 
EU統合で、欧州はどう変わるのか
 
2、002年1月1日、ヨーロッパの国々では、今流通している各国通貨が統一通貨「ユーロ」に切り替わリEUの完全統合が実現します。
 
ヨーロッパの国々が、それぞれの主権の一部を委譲して、一つの強固な統合体となるわけですが、それでは私たちの生活はどう変わるのでしょうか。自分がこれから生活してゆく国ですから、とても興味があります。
 
EUの国々には、それぞれ長い歴史と伝統のもとに独自の法律があります。それら、各国の法律が、統合体としての共同体法に抵触した場合はどうなるのでしょうか。つまり、今のスペイン国内の法律がEUの法律に抵触した場合です。
 
これが私の最大の疑問点ですが、これらについては「通商政策」「金融政策」等、いくつかの分野において、前記のように、EUは加盟各国から主権の委譲を受けており、この限りにおいては、EUの法律が国内法に優先するのです。
 
それでは、財政とか外交とか、それぞれの国家の根幹に関わる分野についてはどうなのでしょうか。EU加盟国は、これらの主権までもEUに委譲し、完全なる「ヨーロッパ連邦」をめざしているのでしょうか。このことは、私の国家の概念をはるかに超えたところにありますし、まだ不透明な部分が多いのですが、EUに加盟するためには、厳しい五つのEMU経済収斂達成基準があり、物価・長期金利・為替相場・政府財政等でこれらの基準を達成していなければなりませんから、これ自体が、財政・外交等の分野で、加盟各国の著しい独走・個人プレーを阻止する抑止力になり得ると考えられます。
 
私は、当分の間、ヨーロッパを舞台にした戦争は起こらないのではないか・・と申し上げましたが、この厳しいEMUの経済収斂達成基準及び統一通貨「ユーロ」の流通自体が戦争抑止力となると考えるのです。過去の歴史の中で、ヨーロッパを舞台にした戦争は、自国通貨の増発でその戦費を調達してきたわけですが、統一通貨「ユーロ」の導入で、物理的にもそれが不可能になるからです。
 
それでは、スペインで暮らす私たちの日常生活はどう変わるのでしょうか。人・もの・サービス・資本の移動が自由になり、統一通貨「ユーロ」が流通することによる日常生活の変化です。

 
人・もの・サービスの移動について
 
スペインからフランス、ドイツ、イタリア等、EU加盟国への移動については、日本のような厳しい出入国管理令、為替管理令等に拘束されることなく、自由に移動が出来るようになりました。また、移動のための物理的な障害物もすべて撤去されましたから、陸路でも出入国検査を受けることなく、車で移動することが出来るようになったのです。EU域内の国々は、もう国内なのです。

 
次に資本の移動が自由化されたことにより、スペインの銀行や、スーパーマーケットのような大型店、企業等の合併が目立つようになりました。さらに、このことの影響による市場での自由競争は、マーケットを活性化させ、物価に市場価格の原理が働き、需要と供給の原則による価格競争が加速しています。実際、ビール等はドイツビール、オランダビール等の参入により、値下げ競争が激化しています。
 
私のマーケットリサーチ・メモでも、このところ、日用雑貨、食料品等でみる限り、スペインの物価は下がっています。ただし、電車・バス・地下鉄等の公共料金、散髪等の一部サービス業、そして原油価格の高騰によるガソリン価格等の値上げは例外的に見え隠れしており、少し気になるところですが、総体的にはEUの統合により、スペインのマーケット・企業活動は活性化し、インフレーションの抑制効果、さらには雇用機会の拡大による失業率の低下等への著しい波及効果がはっきりと統計数字に表れています。