EUの統合で「変わる」ものと「変わらない」もの
「EU(欧州連合)」はヨーロッパの国々の連合体ですが、それぞれの国の歴史や風俗・習慣・伝統は異なりますので、統合の過程での国家間の対立点は多々あったのですが、これを乗り越えて統合にまで至る、そのバック・ボーンとなったもの、共通項はやはり「宗教(キリスト教)」の伝統を共有していたことに帰結すると思えます。
今、「人、もの・サービス、資本・カネの移動」が自由になった「EU」のこれからの進む方向は、変わらないもの「不易」の部分と、変わるもの「流行」の部分があるように思えます。
「不易」の部分とは、もちろん「EU」の基本理念です。
1 戦争のない社会と永久平和の実現。
2 個人の選択の自由を柱とした議会制民主主義による国づくり。
3 基本的人権の尊重の三点であると思えます。
「流行」の部分は、世界的な規模で急速に進展しているグローバル化への対応です。
企業活動、資本市場などは、20世紀の世界では考えられなかったような規模で競争が激化し、再編を迫られるような大きな時代の変化への対応です。
さらにもう一つ、情報通信技術革新へのフレキシブルな対応も求められます。IT社会は、私たちが考えてもみなかったような、いろいろなことがまだまだ実現される可能性を持った、大変な社会になるはずです。
これら「流行」の部分へ対応すべく、スペインでは義務教育年齢の延長などの教育改革が行われましたが、さらなる教育改革論が今、沸騰しております。
答えのない教育への対応
日本の20世紀は、ものを作ってそれを世界市場で大量に売る時代でした。
主として自国の資本と技術、そして自国の労働力で知的付加価値の高い製品を大量に生産し、価格競争力で他国を圧し世界の国々へ輸出していました。安くて品質の優れた日本製品は、世界各国の市場を席捲していたのです。1、980〜90年代は、より大きく、早く、重厚長大こそが価値ある時代でしたから・・。
ところが、21世紀はそれだけの時代ではないような気がします。
私は、21世紀をリードする先端産業は、引き続き情報通信産業と自動車産業(自動車産業は、現在のエンジンだけによる自動車の開発競争ではなく、エンジンとモーターを組み合わせて走るハイブリッド・カー、そして、さらに究極のモーターだけで走る燃料電池車が主流になります)、バイオ・テクノロジー、医薬品産業だと思いますし、IT社会はまだまだ留まるところを知らず、さらに深化・統合が進むはずです。インターネットで情報を収集し、その情報を取捨選択して自分の情報を加味し、それを発信する社会になっていると思うのです。インターネットの情報は、Yahoo!Japan等を除いては、その85%以上が英語です。ここでは、英語の情報を収集し、英語で考える情報が求められるのですから、英語のソフトウエアを駆使できる人材(児童・生徒)を育てなければなりません。
このような時代に求められる教育は、「答えが一つだけではない教育」言い換えれば「答えのない教育」なのではないかと、私は考えています。
発信する情報を自分で考え、自分で創りだし、その情報の普遍性・価値を英語で他者と競う時代ですから、従来の「答えが一つだけの教育」だけでは世界の国々に遅れをとります。
私は、昭和39年に日本の中学校の社会科教師となり、教科指導、進路指導等、長い間中学生の教育に関わってきましたが、この間に私たちが実践した教育は、一人の教師の英邁なるリーダーシップによって、40人以上の生徒が授業を静かによく聞くことを前提に成り立ってきました。そして、そこでは「答えは一つ」、これが唯一絶対的なものであり、正しいものだと思って教育をしてきましたし、受ける側の生徒も、そのように思い込んでいたはずです。
本当にそうだったのでしょうか。
もちろん当時は、時代と社会がそのような教育を求めていたことを否定するものではありません。
しかし私は、平成6年に日本の中学校から、文部省の派遣でマドリッド日本人学校へ赴任して以来、私の取り組んでいる教育は「答えが一つだけではない教育」なのではないかと思うようになりました。さらに平成11年からマドリッド補習授業校で、平成13年からスペイン国立・フェリペU世大学で教鞭をとりながら、この思いは一層強くなりましたね。自作の教科書、ハード・ソフト共にIT関連の教材・教具を使い学習指導要領に拘束されない授業、「日本語」と言う共通の言語を持たない世界での手段としてのコミュケーションの限界を感じながらの授業は、まさに「答えが一つだけではない教育」であります。
豊かな個性と強烈な独創性、課題を自分のものとして、それをクリエートすることが出来るフレキシブルな発想と行動力を併せ持った人材を育成する教育こそが「答えが一つだけではない教育」の時代に求められる教育であると、私は考えています。