校長夫妻のスペイン生活>トキメキエスパーニャ


いつかは日本人学校で(前編)
今回は前から一度お話を聞いてみたいと思っていた、マドリッドにある補習授業校の加瀬校長先生に記事をお願いすることができました。この校長 先生とは一体どんな方なのか?

現在スペイン国内にはマドリッドとバルセロナにそれぞれ日本人学校、そして補習授業校というのがあります。マドリッドのほうが首都ということもあ って日本人の数もバルセロナより多く、日本人学校設立もバルセロナより先でした。
昭和39年、憧れの中学校社会科教員として妻沼東中学校へ赴任しました。振り返れば高校時代に、私は2つの大きな夢を持っていました。1つ は、箱根駅伝の選手になること、そしてもう1つは中学校の社会科の先生になることでした。学生時代の4年間は箱根駅伝に、青春の全エネルギー を燃焼させました。特に4年次にはチームのキャプテンとして4位に入賞したことは今でも忘れることが出来ません。中学校教員になってからは、部 活動、生活指導、進路指導といろいろなことに取り組みましたが、この間「いつかは日本人学校で」という気持ちをずっと持ちつづけてきました。そし て、小島中学校2年目の平成4年4月「在外教育施設派遣教員希望者の選考について」という長い題の文章が届きました。待ちに待った文章、すぐに 志願書を書き、教育委員会へ提出しました。教育事務所で論文と面接、県教育委員会で面接(集団、個人)、文部省の最終選考を経て、同年12月 初旬、「派遣教員候補登録者等の決定について」という選考試験合格の文書を受け取りました。私の場合平成5年度は研修期間で6年度派遣と決ま りました。また、派遣先を私たちからリクエストすることは出来ません。つまりどの国へ派遣されるか全くわからないのです。この決定が下されるの は、派遣の約半年前です。
平成6年3月31日、文部省、外務省から辞令交付と「公用旅券」を受け取り、4月1日成田空港を後に、太陽と情熱の国スペインへ飛び立ちました。 マドリッド日本人学校での3年間は日本の中学校とは違った経験と発見の日々の連続でした。日本人学校の設置母体であるマドリッド水曜会(日系 企業の方たちで構成される、日本人会)とのかかわりや、現地進出企業のトップの方々とのレセプション等での夫婦でのお付き合いは、いままでとは 異なるジャンルの仕事であり、緊張場面も多かったのですが、楽しく充実した3年間でした。また日本人学校には教育委員会がありません。つまり私 自身が全てを取り仕切るわけで、これはある面でかなり厳しい状況でした。が、逆によりよい教育課程の編成、実地にしても財政再建にしても「よし やろう」と考えたことが目に見える形で具現できるという点において、実にやりがいのある仕事でした。

加瀬校長先生の記事は、来週も引き続きお送りいたします。現在世界には多く日本人学校があり、その重要性はきわめて高いものです。いつかは 在外教育に携わりたいというのが校長先生の夢でした。次回はその日本人学校校長としての任期を終え、いったん日本へ帰国したものの、その後 どういった形で再びスペインの地を踏んだのかをお伝えします。

再びスペインへ(後編)
今回は前回に引き続き、マドリッドにある補習授業校の加瀬校長先生の記事をお届けします。前回は日本人学校校長として赴任されるまでの校 長先生のお話でしたが、後編ではその後いったん日本に帰国されたものの再びスペインの地を踏むことになった校長先生のいきさつについてお伝 えします。

平成9年3月、無事3年間の勤務を終え日本へ戻りました。このまま日本で定年を迎えるのかな、と思っていた頃、マドリッド補習授業校からのラ ブコールを受け取りました。私自身、学生時代からとにかくスペインと言う国が好きで、スペインの歌をよく口ずさんでいましたし、セルバンテスやヘ ミングウェイの小説も繰り返し読みました。また明るく、親切で陽気なスペイン人気質、物価が安く、生活しやすいこと、食べ物がおいしいことなども 私をスペインに強く惹きつけた理由でしょう。で、このラブコールの内容というのは、「マドリッド補習授業校の校長のポストにぴったりの人物を探して いる」というものでした。定年まであと数年、誰が見てもこのまま静かに自宅から20−30分の中学校へ勤務するのが無難でした。日本の公立小中 学校校長の職にあるものはよほどの理由が無い限り依願退職するものはいません。しかし私自身、若い頃から人生設計がありました。20代は運 動部の指導、30代は生徒指導、進路指導、40代になったら管理職として学校運営にあたり、その延長線上に在外教育施設、要するに日本人学校 がありました。また、日本人学校校長として、若い頃からずっと好きだった国、一番行きたいと願っていたスペインへ赴任したのも何かの縁かもしれ ません。いろいろと考えた末、家族の承諾を得てこのラブコールを受けることにしました。よく聞かれるのですが、「日本とスペインでは、どちらが住 みやすいか、暮らしやすいか」と聞かれれば迷わず「もちろんスペインですよ」と答えます。
日本人学校の教育プログラムは文部省の定めるものに従って指導を行いますが、補習授業校では独自のプログラムを組んで生徒指導にあたり ます。まず、学級編制ですが、幼児部、小学部、中学部、国際部、セミナークラスの17クラスがあり、プログラムは各部とも午前または午後の3時 間学習します。国語または日本語と算数・数学ですが、社会科を教えて欲しいという希望もあります。補習授業校では一般に、児童、生徒の到達度 に応じた指導をどうするかが問題点として挙げられますが、マドリッド補習授業校の場合は、学級編制の工夫と授業の中での「個に応じた指導方法 の工夫と改善」で対応しています。また、職員研修というものにも力を入れています。これは全体研修と授業研究の2本立てで、教員としての資質 の向上と「よりよい授業の創造」に取り組んでいます。特に力を入れているのは「授業研究」で、これは職員全員が「学習指導案」の作成、研究授 業、研究協議を行い、この間私がつきっきりで指導を行っています。また、保護者を対象にした教養講座、地域のスペイン人を対象にした日本語講 座、そしてスペイン在住で日本の大学進学を目指す高校生を対象とした、論文、面接等の指導および進路情報の提供なども行っています。
海外子女教育は私のライフワークであると考えています。日本以外の土地で子女の進路指導で苦労されている皆さんに対して「進路指導」を行う ことが、私の教員人生におけるファイナル・カーテンの引き方なので、日本の中学校の職を投げ捨てても、私自身は納得のいく人生だと思っておりま す。・・・このように書くと、かっこよく夢を追いつづけたように聞こえますが、途中で何回も挫折しそうになりました。しかし私にとって損得、計算など はあまり意味の無いことです。ただし、家族の支援、協力があってこそのものですが。人にはそれぞれの人生というものがあり、生き方も様々です が、何が一番いいとはいえません。私の人生はマインド、いつも前を向いて進んでいくことです。

加瀬校長先生のように他人が何といおうと、常に自分が一番やりたいと思うことを実行できる人はそれほど多くありません。保証されたものを全て 捨てて新しいことを一から始めようとするのは勇気のいることかもしれませんが、校長先生のおっしゃるように「いつも前を向いて進んでいくこと」が 大切ですね。また、校長先生が作られたホームページもありますので、そちらのほうも見てみてはどうでしょう?

トキメキエスパーニャ
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