|
校長夫妻のスペイン生活>トキメキエスパーニャ
▼いつかは日本人学校で(前編) 現在スペイン国内にはマドリッドとバルセロナにそれぞれ日本人学校、そして補習授業校というのがあります。マドリッドのほうが首都ということもあ って日本人の数もバルセロナより多く、日本人学校設立もバルセロナより先でした。 加瀬校長先生の記事は、来週も引き続きお送りいたします。現在世界には多く日本人学校があり、その重要性はきわめて高いものです。いつかは 在外教育に携わりたいというのが校長先生の夢でした。次回はその日本人学校校長としての任期を終え、いったん日本へ帰国したものの、その後 どういった形で再びスペインの地を踏んだのかをお伝えします。 ▼再びスペインへ(後編) 平成9年3月、無事3年間の勤務を終え日本へ戻りました。このまま日本で定年を迎えるのかな、と思っていた頃、マドリッド補習授業校からのラ ブコールを受け取りました。私自身、学生時代からとにかくスペインと言う国が好きで、スペインの歌をよく口ずさんでいましたし、セルバンテスやヘ ミングウェイの小説も繰り返し読みました。また明るく、親切で陽気なスペイン人気質、物価が安く、生活しやすいこと、食べ物がおいしいことなども 私をスペインに強く惹きつけた理由でしょう。で、このラブコールの内容というのは、「マドリッド補習授業校の校長のポストにぴったりの人物を探して いる」というものでした。定年まであと数年、誰が見てもこのまま静かに自宅から20−30分の中学校へ勤務するのが無難でした。日本の公立小中 学校校長の職にあるものはよほどの理由が無い限り依願退職するものはいません。しかし私自身、若い頃から人生設計がありました。20代は運 動部の指導、30代は生徒指導、進路指導、40代になったら管理職として学校運営にあたり、その延長線上に在外教育施設、要するに日本人学校 がありました。また、日本人学校校長として、若い頃からずっと好きだった国、一番行きたいと願っていたスペインへ赴任したのも何かの縁かもしれ ません。いろいろと考えた末、家族の承諾を得てこのラブコールを受けることにしました。よく聞かれるのですが、「日本とスペインでは、どちらが住 みやすいか、暮らしやすいか」と聞かれれば迷わず「もちろんスペインですよ」と答えます。 加瀬校長先生のように他人が何といおうと、常に自分が一番やりたいと思うことを実行できる人はそれほど多くありません。保証されたものを全て 捨てて新しいことを一から始めようとするのは勇気のいることかもしれませんが、校長先生のおっしゃるように「いつも前を向いて進んでいくこと」が 大切ですね。また、校長先生が作られたホームページもありますので、そちらのほうも見てみてはどうでしょう?
|
![]()