マドリッド通信>47号

 オーラ ケ・タール?お元気ですか。
 スペインではアマポーラの花が,まだ満開です。今年は,3月中旬から25〜30度の日が続きましたので,アマポーラが例年より早く咲き始め,3月下旬から4月にかけて気温が下がったので,そのまま満開に咲き続けています。
 ここ2〜3日,夕方のマラソンコースを少し変えて,我が家の前から南側の電車道を走ってみましたら,それはもう土手の斜面一杯にアマポーラの紅があふれていました。モネが油絵で柔らかく描いた「アマポーラ」の世界そのものです。洋傘をさした女性もモネは描いていますが,虞美人草の群生は本当に見事です。

スペインの子は,ディべ−トが好き
 私が担任しているセミナー・クラス(高校生・大学生のクラス)の子たちに,平成11年度の授業を振り返って,楽しかった授業,つまらなかった授業を聞いてみました。
 論文実習,歴史の授業,グループ研究,ディベート,ビデオ視聴,校長先生の「お話しと歌」等の取り組みの中で,一番楽しかった授業はディベートだと言うんですね。これは全く予想外の結果でした。で,その理由を聞いてみましたら「自分の意見を,みんなの前、クラスの中で主張出来るから」「他者の考えている事・意見がよくわかるから」だというんです。うーん、私は考えてしまいましたよ。スペインの子と,日本の子の違いは,実にここなのではないでしょうか。スペインの子たちは,あるテーマ,ある出来事に対して,自分が納得しなければ「ハイ,わかりました」と,黙っていません。とことん自分の考え・意見を主張し,クラスの中でも激論を交します。一方,日本の子たちはここが割合と苦手で、なかなか自分を主張しませんよね。もっとも,ここで「先生どうして」「この規則必要なの」という子は,日本では扱いにくい子になってしまいますし,指導の側も「黙って先生の言うことを聞いて、静かにしている」ことを前提に指導をしていますよね。少なくとも,私はそのように中学校で35年間過ごしてきました。日本の教育,ここの「硬直性」をもう少し論じ、変わらなければならないと私は考えているのです。
 2番目はグループ研究でした。これも自分たちでテーマを決め,そのテーマに興味と関心のあるグループを編成すると言う,私の考えとは全く逆の方法での取り組みでしたから,「なるほどナー」と,思いましたよ。私の過去の経験では,中学校等でのいろいろな取り組み,なかんずく学校行事のような大きな取り組みで,グループを2番目に決めるなどと言うことは、考えてもみませんでしたから。ここでは,グループに入れない子,グループからはみ出してしまう子をどうするか,誰が面倒を見るかの「生徒指導的発想」から抜け出せずに,当然のように先ずグループ,次がテーマでしたものね。しかし考えてみれば,帰結するところは単純明快なのでありまして,先ずやりたいこと,次が仲間をどうするかが,ごく普通の順序なのに,何を難しくしているのだろうと、今思っていますが,これがなかなか出来なかったんですね−。
 一番つまらなかった授業は,何と「論文実習」だそうです。イヤー,ガッカリしました。マドリッド補習授業校のセミナー・クラスは,小論文指導のためのクラスであると,私は理解しておりますし,この授業の為にそそぐ時間とエネルギーは大変なものなのに、一番つまらない授業とは、言ってくれますねー。それでもまー,言われてみれば,私も論文指導の時間は張り切ってしまい,中学校で歴史の指導をしていたころのように「どうだ,俺の指導に文句があるか」と言うような指導でしたね。180分の時間を通して指導したりね。肩に力が入りすぎていたようです。

カリキュラムは自主編成で
 セミナー・クラスの授業をご覧になって,カリキュラムはどうなっているのかなと,お思いになったでしょう。そうですよね,論文が出てきたり,歴史やディべ−ト,校長先生のお話しと歌などと言う授業もあったのですから。ところがこれが案外人気がありまして,三番目は校長先生のお話しと歌だったんです。
 それで,どんなお話しをしたかというと,私は昭和16年に生まれました。そう,太平洋戦争の真っ最中です。実に信じてもらえないのですが,3歳の時,銚子の街がB−29の焼夷弾攻撃で火の海になったこと,私自身が防空壕から飛び出して,グラマン戦闘機に機銃掃射され,母親が飛び出してきて私を抱え,一緒に防空壕へ飛び込んだ事など,鮮明に覚えております。生徒は「校長先生,本当・・?」と、疑心暗鬼のうちにも食い入るように話しを聞いておりましたね。歌はもちろんビートルズの「レット・イット・ビー」「イマジン」「ヘイ・ジュ−ド」「イエスタデイ」等です。
 ああそう,それでカリキュラムの話しですが,補習授業校には県で示している編成要領や,文部省の学習指導要領などはありません。全て自主編成です。学習指導要領に拘束されないで自分の考えている授業が出来る一方,教科書のない授業の準備には,大変な時間とエネルギーが必要なことは自明の理であります。それでも,補習授業校にはどのようなカリキュラムを編成するかの,選択の自由があるわけで,それはそれなりに,これからの方向性を自分たちで決めるのか,現状で行くのかの問題は残っておりますが,やりがいのある作業になると思います。私自身は,補習授業校の実態にあった「指導要領」のようなものがあった方が良いのではないかと思っているのですが,コンセンサスが得られるかどうか,これからの時間のかかる検討課題になります。

アンダルシア,北アフリカ紀行
 スペインの南端にあるイギリス領ジブラルタルから,はるか南に霞んで見えるのが北アフリカのモロッコです。マドリッド日本人学校時代,ジブラルタルまでは車で何回か来ているのですが、ここから先は,ヨーロッパの日本人学校の教職員は,任国外旅行許可が出ませんでしたので,通行禁止だったのです。今回は公用旅券から一般旅券となり,晴れて自由の身となりましたので,是非訪れて見たかったのが北アフリカです。
 モロッコへの入り方は二つの方法があります。一つは,マドリッドから飛行機でカサブランカ又はラバトへ直行する方法,もう一つはマドリッドから電車でアルへシ−ラスヘ行き,フェリーでセウタへ渡る方法です。私は,電車・フェリーの方にしました。

AVEの線路を走るタルゴは快適
 アルへシーラス行きのタルゴは1日一本です。マドリッド発8時15分のタルゴ200に乗りますと,コルドバまではAVEの線路を走りますから2時間で着いてしまいます。コルドバからはローカル線をロンダ経由でアルへシーラスまでは更に4時間かかります。アルヘシーラスで北アフリカのセウタ行きフェリーに乗り換え,ジブラルタルを右手に見ながら45分でセウタに到着です。

セウタの街 モロッコ国境
セウタの街では,地中海の出口ジブラルタルに向けて大砲が睨みをきかせており,歴史を感じさせる。 スペイン,モロッコ国境。私は歩いて国境を渡った。モロッコに入ると,服装は長衣のジェラバ,カフタン姿に変った。

 セウタからモロッコへの出入国並びに税関検査は割合と簡単でしたが,帰りのモロッコからセウタヘの検査は厳重でした。私の前に並んだモロッコの家族連れは別室に呼ばれてしまいましたから,私は思わず緊張しましたね。しかし検査官は私のパスポートをチラット見ただけで「JAPONね。・・OK」とスムーズに通してくれるではありませんか。モロッコとスペイン,日本ってこれほどの友好国でしたっけ。
 しかし,モロッコとスペインを往復して感じるんですが,市民の生活レベルですね,ホテルにしてもレストラン,店等全てが別の世界なんですよ。夜,街のレストランで食事をしたんですが,何だか鋭い視線の人たちばかりのような気がして,ホテルへ引き上げてしまいました。物価はスペインの三分の一ですかね。でも電気製品や精密機器類は,ほとんど手に入らないようで,スペインまで買いに行くと言ってましたから。この強いカルチャー・ショック「あれ,どこかで・・」と思ったら,そうそう,前に車でアメリカからサンジエゴを通り,メキシコヘ入ったときの,あの強烈なカルチャー・ショックに似ています。思い出しました。

アンダルシアの白い街・ロンダ
 スペインの中でも最もスペイン的と言われるアンダルシア。帰りはロンダで途中下車し,パラドールで一泊しました。ロンダは旧市街と新市街とにはっきりとわかれており,タホ谷の大峡谷をまたぐように新橋がこの両市街を結んでいます。新橋といっても1793年の完成ですから,この街の歴史を感じさせます。この橋を渡って,旧市街から眺める新市街の白い家並は,まさにアンダルシアの世界です。

ロンダの白い家 新市街と旧市街
新橋を渡り,旧市街のフェリペ5世の門から見たロンダの白い家。 ロンダの街の新市街と旧市街を結ぶ新橋。向って左が新市街,右が旧市街。

 ロンダの新橋は、石を積み上げた橋の高さが100M,峡谷の谷底までは150Mです。橋の上から谷底を望むと,足がすくみます。クエンカの宙吊りの家を撮影するとき以来,私はもう,足がすくみっぱなしです。それでも,こりずに橋の上から谷底までおりてみました。上も下も見ずに谷底までおりて,改めて橋を眺めました。驚くんですが,この橋を積み上げた人たちがいるんですよね。スペインの人たち,いや大エスパーニャ帝国の人たちは,とてつもないことをしてくれます。登り下りで1時間半かかりました。

それでは。アディオス。