マドリッド通信−72

フェリペU世大学・翻訳学部
PROFESOR  加 瀬   忠

 
スペイン銀の道紀行

  〜 サンチアゴ・デ・コンポステーラへの「巡礼の道」へ思いを馳せながら 〜
 
スペイン南部の古都セビージャから、北部カンタブリアのヒホンの街までスペインを一直線に縦断する国道N―630号線、この道が今から約2、000年前、古代ローマ人によって拓かれた「銀の道」にほぼ重なる道であることを知る人は少ない。
 実は私も平成6年当時、文部省の派遣でマドリッド日本人学校へ赴任した当時、メリダの街やN―630号線沿いの街をあちこち訪ねたのですが、メリダの街に古代ローマの遺跡「円形劇場」や「ローマ劇場」、そしてモンテマジョールの小さな街には「ローマ帝国の浴場」跡がほぼ完全な形で残されている光景を見て、「えっ・・なぜここに古代ローマの円形劇場や神殿のようなローマ劇場の遺跡があるの、どうして?」と、疑問に思い、いろいろと文献を調べ進むうちに、この道は古代ローマ人がスペイン北部のカンタブリア山脈で産出する「金」や「銀」を運んだ悠久の歴史を刻んできた道であることがわかりました。


                     
                      巡礼の道へ通ずる
、ルータ・デ・ラ・プラタ
               (国道・N―630号線「銀の道」)。


 
スペイン「巡礼の道」へ通じる「銀の道」
 
カンタブリアの山々から陸路をレオンの街へ、さらにサラマンカ、メリダ、セビージャと「銀の道」を進み、セビージャから船でグアダルキビル川を下り、海路大西洋からジブラルタル海峡を経て、地中海をローマへと至るコースが「銀の道」であるわけですが、この道はスペインでは、どちらかと言えば「スペイン巡礼の道」と比べるとマイナーな、知名度の低い道であるのに、いつの時代からか「銀の道」はレオン、アストルガの街で「スペイン巡礼の道」とジョイントして、聖地サンチアゴ・デ・コンポステーラへ至る第3の道として知られるようになりました。

 
セビージャ
 
セビージャ、どこかエキゾチックなロマンを感じさせ、心惹かれる街。
 スペイン南西部、アンダルシア地方の中心都市セビージャは、ロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」、メリメの小説「カルメン」で知られた街です。
 遥か800キロメートル北の、カンタブリアの山々から運ばれた金・銀、そして街道沿いで産出された小麦・オリーブなど様々な農産物を、この街の中央を流れるグアダルキビル川から船でローマへと運んだのですね。
今回の「銀の道」紀行は、セビージャの街を基点に、カンタブリアの山々を目指すコースをとることにしました。

                     
                     
悠久の歴史を刻むグアダルキビル川。右側の塔は
              「黄金の塔」。13世紀、
イスラム教徒によって
               建立された。敵の侵入を監視するための塔。


               
         
          
ヒラルダの塔、12世紀のイスラム建築。    セビージャ大学、旧タバコ工場。カルメ
       
カテドラルに付設された98Mもの鐘楼。    ンが赤いバラをくわえて立っていた場所。

 
セビージャの街は、今から2、000年以上も前のローマ帝国時代から、すでに西ゴート王国の首都として栄え、サラセン文化が花開いていました。8世紀以降は、イスラム教徒の侵入を受けますが、1、248年にカスティージャ王のフェルナンド3世がレオン王に即位し、セビージャをイスラム勢力から奪還してからは、さらに新大陸との交易港として富み栄えました。
 
1、519年にマゼランが世界周航の旅に出たのも、ここセビージャの街でしたし、またセビージャは、古くから芸術の薫りが高い街としても知られ、ベラスケス、ムリーリョ、スルバランと言った多くの芸術家を輩出しています。

 
サフラの街
 
国道・N―630号線「銀の道」は、今では全面舗装され、快適なハイ・ウェイとなっており、かつてローマ帝国の兵士たちが道なき道を切り拓いて進んだであろう難業の姿は跡形もない。
 
セビージャを出てサフラの街への道沿いは、赤茶けた荒涼とした大地、ユーカリの大木と点在するサボテン、たわわに実ったオリーブの木が限りなく続き、その様は、あたかもけだるいアンダルシアの午後を彷彿とさせ、古代ローマ帝国時代へのたまらないノスタルジアを誘います。
 
セビージャからサフラの街までは150K、山を越える道ですが、約2時間半の行程です。国道を外れてサフラの街へと入って先ず目につくのが、15世紀に建てられたフェリア公爵の城砦宮殿です(写真左)。現在は四つ星のパラドールとなっています。

          
         
          
フェリア公爵の城砦宮殿。現在は、15世    街の中心、プラサ・グランデ(大きい広
       
紀の時代をそのまま残したパラドール。     場)。アラブの建築様式がそのまま残る。

 
この街は、白壁の美しい家並みがアンダルシアの街であることを実感させると共に、広場の建築物やバルの内装に至るまで、色濃くアラブの建築様式やアラベスクの文様が残されており、中世ヨーロッパの複雑な歴史を感じさせます。

 
ローマ帝国の街「メリダ」
 
サフラの街からメリダの街までは約60K、1時間かかりません。この間のN―630号線沿いは、アンダルシアの赤茶けた褐色の大地から、ドングリとコルク樫の木々が目立つようになり、セビージャから僅かの距離の間に植生の変化が見られます。
 
メリダの街は、悠久2、000年以上の時を超え、古代ローマの遺跡が今なおそのまま残された街です。前24年に築かれた「ローマ劇場」、15、000人以上の観客を収容し、猛獣と人を戦わせた、ローマのコロセウムを思わせる「円形劇場(競技場)」、そして、今なお人々の往来で賑わう「ローマ橋」等、「小さなローマ」そのものの街です。

               

                      
前24年に築かれ、2、000年以上の風雪に堪
               え、今なおほぼ完全な形
で残るメリダの「ローマ
               劇場」。神殿のような舞台、美しい大理石の柱。

          
        
          
円形劇場への通用門。この門をくぐって、    前1世紀に築かれた「円形劇場」。
       
どれだけのローマ人が往来したのだろう。    奴隷と猛獣との戦いに時代の流れを
                              感ずる。

 
銀の道紀行、72号はメリダまで掲載致しました。メリダ以降は次号に掲載予定です。                                                                                                   アディオス