マドリッド通信−73


フェリペU世大学・翻訳学部
PROFESOR加瀬  忠

 オー
ラ ケ・タール?
 マドリッドの街角に初冬の風物詩、焼き栗屋さんの姿が見られるようになりました。
  先週までの目のさめるような王宮庭園のマロニエ、菩提樹の黄葉も、あっという間にプラタナスの黄葉が少しだけ残る冬枯れのさびしい風景に一変してしまいました。イベリア半島の厳しい冬将軍も、すぐそこまで来ていることを感じさせます。



アランフェスのフェリペU世・王宮庭園、プラタナス(鈴懸け)の黄葉


 
EU統合後のスペイン

 私がいつも買い出しに行くアランフェスのメルカド(市場)で、このところ大きな変化が目につきます。今までは肉屋さん、魚屋さんだったメルカドの一画が改装され、パソ・コンのコーナーに生まれ変わっているのです。メルカドはご存知のように、ずっと昔から、野菜や果物、肉・魚類等の、主として生鮮食料品等を扱う、いわば「庶民の台所」的役割を担ってきた場所です。そのメルカドにパソ・コンのコーナーが誕生し、最近はいつ行っても満員で、子供から大人までがパソ・コンの画面とにらめっこをしているのです。台所とパソ・コンが共存し、時代の変化にいち早く対応しようとしているスペイン社会の変化を感じます。
 
また、ここ1〜2年スペインのIT(情報技術)の普及ぶりは大変なもので、私が、この夏休みに日本へ一時帰国した折に、私の娘が、スペインの知り合いとチャットで話をしているところへ、たまたまその友人のところへ遊びに来ていた8歳になる従妹のへススちゃんが、チャットへ入ってきて私の娘と話をしているんですね。いやー、私は感心したんですが、8歳の子がですね、チャットで娘たちの会話の中へ入りこめるパソ・コンの技術をもうそこまでマスターし、使いこなしていると言う生活環境に対してです。へススちゃんの例は、スペイン社会では特殊な例外ではなく、ごくありふれた普通の子の例なんですね。
 
私は日本の中学校に長く勤務し、校長として学校を経営してきましたが、この面で日本の小・中学校のIT(情報技術)関連教育は、EU域内の情報技術関連教育よりも大きく遅れています。21世紀をリードする先端産業は、引き続き情報通信関連産業と自動車産業、バイオ・テクノロジー等であると私は考えます。これからの時代は、インター・ネットで英語の情報を収集し、その情報を取捨選択してさらに自らの情報を加味し、発信して、その情報の普遍性・価値を競う時代ですのでね。EU域内の多くの国々では、もう6〜7歳くらいの子供の頃からこの教育に取り組んでいますから、覚えるのも早いんですよ。
 
世界的な規模で急速に進展しているグローバル化への対応、来るべくブロードバンド時代に備えて、学校での授業、買物、音楽等々、コンピューターにADSLを接続する等の技術は、スペイン社会ではもう常識の時代となっていますからね。

 
EU・拡大するヨーロッパ

 
フランス、ドイツ、スペイン等EU12カ国は、2002年1月1日、統一通貨「ユーロ」の導入をもって統合を完結しました。通貨統合だけに参加していないイギリス等3カ国を加えて、EU(ヨーロッパ連合)は15カ国体制となったわけですが、さらに周辺国のポーランド、ハンガリー、ルーマニア、バルト海沿岸の旧ソビエト3国のエストニア、ラトビア、リトアニア等を加えた中・東欧10カ国のEU入りがほぼ固まり、EUは2004年以降、何と25カ国体制となるのです。東西が一体化したEUとなるのですねー。大欧州時代の幕開けは、とてつもなく大きな歴史の流れを感じさせます。
  東・西ヨーロッパの国境は、かつて東西冷戦の最前線でありました。それぞれはNATO(北大西洋条約機構)軍とワルシャワ条約機構軍としてことごとく対立し、一触即発の危機を何度も経験してきました。その北大西洋条約機構軍とワルシャワ条約機構軍のジョイントなのですね。私は学校で、長い間歴史を教えてきていますが、かつて戦争以外の民主的な話し合いの方法で、自国の主権の一部を委譲した例があったでしょうか・・。「ノー」、私の知る限りにおいて、過去の歴史では例がありません。静かな話し合いと民主的な手法による「自国の主権の一部委譲」は、欧州だからこそ実現出来た「壮大なる歴史的な実験」であると私は思います。
  振り返って、EU統合の理念をもう一度考えてみますと、統合のバック・ボーンとなったもの、共通項はやはり「ヨーロッパの国々が、宗教(キリスト教)の文化・伝統を共有していたこと」に帰結すると思えます。その上に、(1)戦争のない社会と永久平和の実現、(2)個人の選択の自由を柱とした民主主義による国づくり、(3)基本的人権の尊重の三点にまとめることが出来ます。(1)の実現のためには、EUの拡大がコンセプトでありますので、加盟国が拡大すればEUとしての共通の意思決定や政策の遂行が難しくなることは自明の理ではありますが、ハードルは高くても、大欧州での「不戦共同体」の構築に向かって進むことは十分に予想されます。
  西暦2004年には、人口5億人以上の巨大市場が大欧州に実現します。その時世界の経済は、米・日・EUの三極に収斂されると言うシナリオが私の持論です。


 
 
スペイン「銀の道」紀行―2 
 
2、000年以上も前の「円形劇場」や「競技場」等の古代ローマ帝国の遺跡がそのまま残る「小ローマ帝国」、メリダの街からカセレスの街までは「N―630(銀の道)」をさらに75K北上します。赤茶けたメセータの大地も、このあたりではドングリ、ユーカリの大木から、良く耕されたヒマワリ、冬小麦の畑が目立つようになります。

 
「N―630(銀の道)」も、カセレスの街近くでは冬小麦、ヒマワリが
培され、硬葉樹林が支配的なアンダルシアとは、植生の違いが見られる。


 
異文化の重なり合った街「カセレス」 
 ポルトガル国境まで約80K、エストレマドゥーラの中央に位置するカセレスの街。この街も紀元前29年、ローマ人の手でつくられた街です。その後は西ゴート族、さらにアラブ人とそれぞれの時代の支配者によって栄えた街で、今は旧市街が当時のままに残り、スペインで最も「モニュメンタルな街」として、ユネスコから「世界の文化遺産」の指定を受けている魅力的な街です。


中世に建てられたゴシック建築様式のモニュメントが集中し、城壁内住居
群もそのまま残るカセレスの旧市街。13世紀で時間が止まっている。

 新大陸との「中継ぎ貿易」でさらに繁栄
 
カセレスの街は、1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見でさらなる繁栄を極めます。新大陸との貿易を独占したカスティージャ王国は、南米で新たな鉱山が発見されて銀の輸入量が増大すると、カセレスの街は南米からの金・銀を運ぶ交通の要衝として大いに賑わったのです。

                     
 
    マヨール広場から旧市街へ通じる「星の門」   カセレスの街のマヨール広場。2000
      付近の夜景。豪華貴族の威光が偲ばれる。   年も前の時代から、市民が集う憩いの場。

  古代ローマ帝国時代の温泉
 
「銀の道」は、カセレスの街から国道N―630号線をさらに北へ進みます。
 N―630号線沿いにある「バーニョス・デ・モンテマジョール」と言う小さな街。沿線の景観に見とれていると、見過ごしてしまいそうな小さな街ですが、この街に、古代ローマの時代からの温泉があります。


      
  
中学校のプールのような温泉。温度は低い  2000年前、ローマ人によって建設された
 
が、身体はポカポカで湯冷めをしない。  浴場は、ローマのカラカラ浴場を彷彿させる

  古代ローマ帝国の兵士は、私たち日本人と同じく余程温泉が好きだったんですねー。630号線のこんな小さなモンテマジョールの街に、温泉をつくったんですから。                                                                                                               アディオス