マドリッド通信−74

フェ
リペU世大学・翻訳学部
PROFESOR  加 瀬   忠

 
 スペイン・ジェぺ村のワイン・
Vinos de Yepes


 
過日、セセーニャ村に住む友人から電話がありました。「S.カセ、ジェぺ村のおいしいワインが蔵出しを終えたよ。飲みにゆこう!」
 
9月下旬に仕込んだビノ・ティント(赤ワイン)が2〜3週間後にはうまく発酵してソンブレロ(帽子)をかぶり、熟成も順調にすすんだので「まあ、とにかく飲もうよ」との誘いです。スペインの古い村では、古来よりワインの蔵出しの日は「月が満月から次の新月に至る下弦の月の日」を選ぶと、おいしいワインが出来るという言い伝えがあり、村の人たちは今でも皆この言い伝えを守り、その年に仕込んだヌエヴォ(新酒)は、12月の第一週前後の蔵出しになるのだと言う。
 
おいしいワインが出来る条件は三つあります。先ずブドウの品種。ジェぺ村では濃いビオレタ色のガルナッチャ・ティンタ種を多く使います(写真)。次が気候で、年間の平均気温が10〜20度、夏に乾燥する気候帯であること。そして三つ目が土壌です。「ピレネー山脈をはさんでフランス南部からイベリア半島のスペインにかけては土壌が石灰質であるから、ワイン造りには最も適した地域である」と、中学校の社会科の授業で何度もとりあげ、知識としては知っていましたが、ジェぺ村へ入って「目から鱗が落ちる」思いがしました。目の前で石灰岩の露天掘りが大規模に行われているのです。

               

                      
石灰石の露天掘り。中央白く見える部分は全て
               石灰岩層で、セメントの
原料となり、トラック
               で運び出されていた。

 
おいしいワインが出来るわけですよ。ラ・マンチャ地方の真っ只中で石灰質の土壌に恵まれ、夏にはほとんど雨 が降らない、燦燦とふりそそぐ太陽がブドウの糖分を高め、その糖分が発酵してワインになるのですから。

 
酵母と酵素が発酵・熟成の主役
 
昨年、サン・ビセンテ村のS.カルロスに「ブドウ果汁の発酵は、真菌類と言う酵母と酵素がつかさどるのだ」と言うことを聞き、さらに「このブドウ果汁発酵の主役を演ずる真菌類は、もともとブドウ畑の土壌に存在し、風に運ばれてブドウの皮に付着するのだ」と言うことも聞いていました。なぜか私は、このことにすごく興味・関心とロマンが残っていたものですから、同じことをジェぺ村ではどうなのかな・・という素朴な疑問をジェぺ村のボデガ(酒蔵)のオーナー、S.ルイスに聞いてみましたら、「そうだよS.加瀬・・この石灰質の土壌の中の無数の真菌類が、ジェぺ村のおいしいビノ(ワイン)を作るんだよ。イヤー、ジェぺ村のビノは何てったって一番だ。まあ、のめのめ。ビノにはこのケソ(チーズ)に限るな」とケソ・マンチェーゴ(ラ・マンチャの熟成した羊のチーズ)をすすめてくれました。
  おいしいんですよ。搾りたてのジェぺ村のワインとラ・マンチャの熟成した羊のチーズ。


                      
                 
S.ルイスのボデガ(酒蔵)。2002年産のジェぺ・ヌエボ。

 
「お前なー、出来たてのビノはチビチビと飲むんではなく、こうやって飲むんだよ。闘牛の時もサッカーの応援の時も同じだけれどもな。

         
         
         
ポロンから豪快にビノを飲むルイスさん。 ジェぺ村で栽培されるカルナッチャ種の葡萄

 私も、スペインの人たちが闘牛場やサッカー場で「ボタ(皮袋のビノ入れ)」でビノを飲んでいる光景は良く見かけます。ボタと言うビノ入れは、よく考えたものです。乾燥したステップ気候帯に生きる人たちの生活の知恵と感心しますよ。ラ・マンチャの真夏などは気温が40度を超えますからね、ビノが熱燗になってしまうんですが、それでもボタの中に入ったビノは、気化熱の作用で適度な温度となり、いつも飲み頃なんですから。ジェぺ村のビノ・ティント(赤ワイン)は、おいしいだけでなく、価格もリーズナブルなお値段で、7本買ったのですが20ユーロ(約2、500円)でした。

 
スペイン「銀の道」紀行―3
 
古代ローマ帝国時代の温泉がそのまま残る「バーニョス・デ・モンテマジョール」の街から、スペイン最古の大学の街・サラマンカまでは約90Kなのですが、N―630号線は割合と曲がりくねった山道を走るので、けっこう時間がかかりました。
 
セビージャを出発し、赤茶けた褐色のメセータ高原の続くアンダルシアからラ・マンチャの景観も、ここまでくると630号線沿いの植生は一変し、大規模なスプリンクラーによる灌漑、良く耕された広大な乾田に栽培されている冬小麦、ヒマワリが目につくようになります。
 
スペインのメセータ高原では未利用地が多く、その割合は森林を含めて約50%にも及んでいますが、「銀の道」沿い北部では、ステップ気候の影響をうけ、集落の周囲の農地では、冬小麦等の穀類が一年おきに耕作と休耕を行うニ圃制で栽培されており、日本での農地が高度に利用された集約農業とは大きく異なっています。

 
紀元前3世紀から栄えた街・サラマンカ
 
トルメス川のほとりに広がるサラマンカの街は、カスティージャ地方の西端、ポルトガルと接するサラマンカ県の中心都市です。この街は、紀元前3世紀にカルタゴ人によって建設され、以来悠久2000年以上の歴史を経て今日に至っています。

               

              
新・旧のカテドラルが共存する珍しいスタイルのサラマンカのカテドラル

 
美しいサラマンカのマヨール広場
 
学生の街サラマンカの中心は、スペインで一番美しいと言われているマヨール広場です。
 
この広場は、フェリペ五世の時に建てられた広場で、当時主流の建築様式であったチュリゲラ様式の美しさを残した広場です。正面の建物が市役所で(写真)、かつては、祭りや宗教裁判の時には、サラマンカ市民が一堂に会した場所です。
 
また、マヨール広場のすぐ近くに、巡礼の旅のシンボルである帆立貝をモチーフとして刻み込んだCasa de Concha(貝の家)があります。これは、かつてこの家の主が、サンチャゴへの巡礼者を守る騎士だったことから建立した建物なのです。

         
           
          
サラマンカのマヨール広場と市役所     400個の帆立貝が刻み込まれた貝の家

  
 異文化の間で

                                                           こぼればなし

 私の勤務するフェリペU世大学・翻訳学部の2002年度の授業も、12月19日に無事終了しました。 翻訳学部の忘年会の幹事は、JAPONES−V・W担当のスペイン人・カルロス教授と私です。綿密な打ち合わせの後、会場を「日本文化を学んでもらう」ことを目的に、マド
リッドの日本食レストランに設営しました。

 時間は、午後8時半の開始、11時00分終了と言う段取りで案内状をつくりましたが、さっそくクレームがつきました。「11時00分終了では早すぎる」と言うんですねー。全く考えてもみなかったところへのクレームです。レストランへの予約はすでに済ませてしまいましたので、仕方なく、二次会を11時00分過ぎに別の会場で行うことで納得して貰いました。

 さて当日、妻にも協力してもらって早めにマドリッドの会場へ行き、メニュー、イス、テーブル等の最終確認をして職員の到着を待ちました。何しろ32人参加の予定ですから。

 いやいや、開始時間の8時半になっても誰も来ません。
 9時過ぎ、やっと半数くらい集まったところで始めてしまいました。学部長の挨拶等、セレモニーは何もなし。「サルー(乾杯)」で何となく始まり、賑やかな一時だったのですが、「あれで・・よかったのかなー」
と言う日本人的な思いがいつまでも残りました。

 フェリペU世大学・翻訳学部PROFESORに人気の日本食ベストー5

 1 お寿司 2 天ぷら 3 お刺身 4 焼きそば 5 わかめときゅうりの酢の物
 なお、純粋な日本食ではありませんが、餃子も大変人気がありました。もちろん、ナイフ・フォークはなし。全員「おはし」で食べてもらいました。