スペイン銀の道紀行総集編                                         
フェリペU世大学翻訳学部
PROFESOR  加 瀬  忠

 サンチアゴ・デ・コンポステーラへの「巡礼の道」へ思いを馳せながら
 スペイン南部の古都セビージャから、北部カンタブリアのヒホンの街までスペインを一直線に縦断する国道N―630号線、この道が今から約2、000年前、古代ローマ人によって拓かれた「銀の道」にほぼ重なる道であることを知る人は少ない。
 実は私も平成6年当時、文部省の派遣でマドリッド日本人学校へ赴任した前後、メリダの街やN―630号線沿いの街をあちこち訪ねたのですが、メリダの街に古代ローマの遺跡「円形劇場」や「ローマ劇場」、そしてモンテマジョールの小さな街には「ローマ帝国の浴場」跡がほぼ完全な形で残されている光景を見て、「えっ・・なぜここに古代ローマの円形劇場や神殿のようなローマ劇場の遺跡があるの、どうして?」と、疑問に思い、いろいろと文献を調べ進むうちに、この道は古代ローマ人がスペイン北部のカンタブリア山脈で産出する「金」や「銀」を運んだ悠久の歴史を刻んできた道であることがわかりました。


                    
                  
レオン、アストルガでスペイン「巡礼の道」とジョイント
            する、ルータ・デ・ラ・プラタ(国道・N―630号線「銀
            の道」)。


 
スペイン「巡礼の道」へ通じる「銀の道」
 
カンタブリアの山々から陸路をレオンの街へ、さらにサラマンカ、メリダ、セビージャと「銀の道」を進み、セビージャから船でグアダルキビル川を下り、海路大西洋からジブラルタル海峡を経て、地中海をローマへと至るコースが「銀の道」であるわけですが、この道はスペインでは、どちらかと言えば「スペイン巡礼の道」と比べるとマイナーな、知名度の低い道であるのに、いつの時代からか「銀の道」はレオン、アストルガの街で「スペイン巡礼の道」とジョイントして、聖地サンチアゴ・デ・コンポステーラへ至る第3の道として知られるようになりました。

 
セビージャ
 
セビージャ、どこかエキゾチックなロマンを感じさせ、心惹かれる街。 スペイン南西部、アンダルシア地方の中心都市セビージャは、ロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」、メリメの小説「カルメン」で知られた街です。 遥か800キロメートル北の、カンタブリアの山々から運ばれた金・銀、そして街道沿いで産出された小麦・オリーブなど様々な農産物を、の街の中央を流れるグアダルキビル川から船でローマへと運んだのですね。今回の「銀の道」紀行は、セビージャの街を基点に、カンタブリアの山々を目指すコースをとることにしました。

                    
                      
悠久の歴史を刻むグアダルキビル川。右側の塔は
              「黄金の塔」13世紀、
イスラム教徒によって建立
              された。敵の侵入を監視するための塔。


                      
         
ヒラルダの塔、12世紀のイスラム建築。  セビージャ大学、旧タバコ工場。カルメ
      カテドラルに付設された98Mもの鐘楼。  ンが赤いバラをくわえて立っていた場所。

 
セビージャの街は、今から2、000年以上も前のローマ帝国時代から、すでに西ゴート王国の首都として栄え、サラセン文化が花開いていました。8世紀以降は、イスラム教徒の侵入を受けますが、1、248年にカスティージャ王のフェルナンド3世がレオン王に即位し、セビージャをイスラム勢力から奪還してからは、さらに新大陸との交易港として富み栄えました。
 
1、519年にマゼランが世界周航の旅に出たのも、ここセビージャの街でしたし、またセビージャは、古くから芸術の薫りが高い街としても知られ、ベラスケス、ムリーリョ、スルバランと言った多くの芸術家を輩出しています。

 
サフラの街
 国道・N―630号線「銀の道」は、今では全面舗装され、快適なハイ・ウェイとなっており、かつてローマ帝国の兵士たちが、道なき道を切り拓いて進んだであろう難業の姿は跡形もない。
 セビージャを出てサフラの街への道沿いは、赤茶けた荒涼とした大地、ユーカリの大木と点在するサボテン、たわわに実ったオリーブの木が限りなく続き、その様は、あたかもけだるいアンダルシアの午後を彷彿とさせ、古代ローマ帝国時代へのたまらないノスタルジアを誘います。
 セビージャからサフラの街までは150K、山を越える道ですが、約2時間半の行程です。国道を外れてサフラの街へと入って先ず目につくのが、15世紀に建てられたフェリア公爵の城砦宮殿です(写真左)。現在は四つ星のパラドールとなっています。

         
        
             
フェリア公爵の城砦宮殿。        街の中心、プラサ・グランデ
         現在は、15世紀の時代を       (大きい広場)。アラブの建

              そのまま残したパラドール。              建築様式がそのまま残る。

 
この街は、白壁の美しい家並みがアンダルシアの街であることを実感させると共に、広場の建築物やバルの内装に至るまで、色濃くアラブの建築様式やアラベスクの文様が残されており、中世ヨーロッパの複雑な歴史を感じさせます。

 
ローマ帝国の街「メリダ」
 サフラの街からメリダの街までは約60K、1時間かかりません。この間のN―630号線沿いは、アンダルシアの赤茶けた褐色の大地から、ドングリとコルク樫の木々が目立つようになり、セビージャから僅かの距離の間に、植生の変化が見られます。
 メリダの街は、悠久2、000年以上の時を超え、古代ローマの遺跡が今なおそのまま残された街です。前24年に築かれた「ローマ劇場」、15、000人以上の観客を収容し、猛獣と人を戦わせた、ローマのコロセウムを思わせる「円形劇場(競技場)」、そして、今なお人々の往来で賑わう「ローマ橋」等、「小さなローマ」そのものの街です。

               

                        
前24年に築かれ、2、000年以上の風雪に堪え、
                ほぼ完全な形で残るメリダの「ローマ劇場」。パル
                テノン神殿のような舞台と美しい大理石の柱。

          
       
            
円形劇場への通用門。この門をくぐって、   前1世紀に築かれた「円形劇場」。
        どれだけのローマ人が往来したのだろう。   奴隷とと猛獣との戦いに時代の流
                              れを感ずる。

 
2、000年以上も前の「円形劇場」や「競技場」等の古代ローマ帝国の遺跡がそのまま残る「小ローマ帝国」、メリダの街からカセレスの街までは「N―630(銀の道)」をさらに75K北上します。赤茶けたメセータの大地も、このあたりではドングリ、ユーカリの大木から、良く耕されたヒマワリ、冬小麦の畑が目立つようになります。

 異文化の重なり合った街「カセレス」 
 
ポルトガル国境まで約80K、エストレマドゥーラの中央に位置するカセレスの街。この街も紀元前29年、ローマ人の手でつくられた街です。その後は西ゴート族、さらにアラブ人とそれぞれの時代の支配者によって栄えた街で、今は旧市街が当時のままに残り、スペインで最も「モニュメンタルな街」として、ユネスコから「世界の文化遺産」の指定を受けている魅力的な街です。

               

                        
中世に建てられたゴシック建築様式のモニュメ
                ントが集中し、城壁内住居群もそのまま残るカ
                セレスの旧市街。13世紀で時間が止まってい
                る。


 
新大陸との「貿易中継」でさらに繁栄
 
カセレスの街は、1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見でさらなる繁栄を極めます。新大陸との貿易を独占したカスティージャ王国は、南米で新たな鉱山が発見されて銀の輸入量が増大すると、カセレスの街は南米からの金・銀を運ぶ交通の要衝として大いに賑わったのです。

            
        
          
 マヨール広場から旧市街へ通じる「星の門」    カセレスの街のマヨール広場。
        付近の夜景。豪華貴族の威光が偲ばれる。     2000年も前の時代から、市
                                民が集う憩いの場。


 
古代ローマ帝国時代の温泉
 
「銀の道」は、カセレスの街から国道N―630号線をさらに北へ進みます。
 
N―630号線沿いにある「バーニョス・デ・モンテマジョール」と言う小さな街。沿線の景観に見とれていると、見過ごしてしまいそうな小さな街ですが、この街に、古代ローマの時代からの温泉があります。

            
        
                 
  中学校のプールのような温泉。      2000年前、ローマ人
            温度は低いが、身体はポカポカ      によって建設された浴場は、
            で湯冷めをしない。           ローマのカラカラ浴場を彷
                                彿させる


 
古代ローマ帝国の兵士は、私たち日本人と同じく余程温泉が好きだったんですねー。630号線のこんな小さなモンテマジョールの街に、温泉をつくったんですから。

 紀元前3世紀から栄えた街・サラマンカ
 
トルメス川のほとりに広がるサラマンカの街は、カスティージャ地方の西端、ポルトガルと接するサラマンカ県の中心都市です。この街は、紀元前3世紀にカルタゴ人によって建設され、以来、悠久2000年以上の歴史を経て今日に至っています。

                 

                            
新・旧のカテドラルが共存する珍しいスタイルの
                 サラマンカのカテドラル。


 
美しいマヨール広場
 
学生の街サラマンカの中心は、スペインで一番美しいと言われているマヨール広場です。
 この広場は、フェリペ五世の時に建てられた広場で、当時主流の建築様式であったチュリゲラ様式の美しさを残した広場です。正面の建物が市役所で(写真)、かつては、祭りや宗教裁判の時には、サラマンカ市民が一堂に会した場所です。
 また、マヨール広場のすぐ近くに、巡礼の旅のシンボルである帆立貝をモチーフとして刻み込んだ
Casa de Concha(貝の家)があります。これは、かつてこの家の主が、サンチャゴへの巡礼者を守る騎士だったことから建立した建物なのです。

            
       
              
サラマンカのマヨール広場と市役所。  400個の帆立貝が刻み込まれた貝の家