マドリッド通信−78

 
フェリペU世大学翻訳学部                          
                        PROFESOR  加 瀬  忠

 オーラ ケ・タール?
 
アランフェスのメルカド(市場)に、名物のグリーン・アスパラガスや真っ赤なイチゴが出回り始めました。ついこの間まで、厳しい寒さに遠慮がちだった日の光も、あっという間に輝きを増し、一気に初夏の太陽へと変わって、ラ・マンチャの夏がもうすぐそこまで来ていることを感じさせます。

               

                      
アランフェス名物のフレソン・コン・ナタ
              (イチゴ・ミルク)屋
さん。グリーン・アス
              パラガスの束も見える。


 EU統合後のヨーロッパ
 2002年1月、フランス、ドイツ、スペイン等、ヨーロッパ15カ国は残された課題であった通貨統合(イギリス、デンマーク、スウェ―デンの三ヶ国は通貨統合のみ不参加)を完了し、EU(ヨーロッパ連合)が成立して一年経過しました。
 
21世紀の世界経済は、米・日・EUの三極に収斂され、且つEU域内では、統一通貨「ユーロ」が導入されたことにより、当分の間、ヨーロッパを舞台にした戦争は起こらない・・と言う二つの視点が、ヨーロッパからEUを見つめている私の持論であると、「マドリッド通信」で何回も発信してきました。
 
過去、ヨーロッパを舞台にした戦争は、自国の通貨を増発することによって戦費を賄ってきましたが、統一通貨「ユーロ」の導入により、物理的にそれが不可能となり、それ自体が戦争抑止力となりうるからです。
 ところがEU域内で、2002年及び2003年(見込み)の財政赤字がGDP(国内総生産)比3.04%〜3.4%(平成15年3月8日付日本経済新聞)と言う明らかな収斂基準のルール破りをする国が出てきました。EUに加盟するには、五つの厳しい収斂基準がありまして、その一つに「政府の財政赤字が名目GDP(国内総生産)の3%以内に収まっていること」と言う項目があります。この厳しいハードルをクリアーする為に、スペイン等EU加盟諸国は「景気か財政か」の論争以前の問題として、健全財政を志向しそれを達成しているわけですが、このルール破りがEU加盟の他の国々に波及するようなことになりますと、私の持論である「統一通貨ユーロの導入事体が戦争抑止力になり得る」と言う説は、説得力がなくなります。
 フランスはドイツ・イタリアと共に、EU統合の一方のリーダーでありますから、ここでは収斂基準をしっかりと守り、EU統合の求心力が失われるような事体を避ける為、是非財政均衡を達成して欲しいものです。

 
 
スペイン「巡礼の道」紀行
 
フランス・ブルゴーニュ地方ベズレーの街から、険しいピレネー山脈を越えて、キリスト十二使徒の一人聖ヤコブの眠るスペイン西端の街、サンチアゴ・デ・コンポステーラヘと続く「スペイン巡礼の道」は厳しく、苦しい「巡礼の道」であります。
 アンダルシア南部の街セビージャから「スペイン銀の道」を北上し、アストルガの街から「スペイン巡礼の道」へと歩を進めた時に先ず思ったことは、「人はこの厳しい道をなぜ辿るのか」と言う素朴な疑問でありました。道中には病院や救護施設等は何も無い、あるのはただ気が遠くなるほどの荒野と一本の道だけなのです。

              

                    
「スペイン巡礼の道」、アストルガ付近。道中には
             何も無く、自力で歩き続けるだけ。最後に頼れるの
             は自分だけだ。貝のマーク は巡礼路の目印。


 
今まで勤めていた職場や仲間から離れ、この道を歩もうと決意するまでには、相当にボジティブなエネルギーが必要だったと思えるのです。「スペイン巡礼の道」をリポートする前に、私は先ず、この人間観察に非常に興味と関心を覚えました。伊達や粋狂ではとても貫徹出来そうもないことに挑戦する動機は一体何だったのだろうか。

 
1000日「回峰行」
 
「スペイン巡礼の道」を、ひたすら聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩いている人たちを見て、私はその姿を、比叡山・延暦寺の1000日回峰行の行者に重ねていました。平安時代から天台宗の修行僧が行っている行の一つで、一日に比叡山を一周し、これを1000日間続けて終るあの修行です。この間には死を賭した不眠・不休・不臥のお堂入りがあり、常人ではとても為し得ない荒行です。
 人は誰でも多かれ、少なかれ日常に不満はある・・と、私は思うのです。
 「自分は、所属する組織からはみ出しているのではないか」「どうしても上司と反りが合わない。このままでは先の見込みがないのではないだろうか」「愛する人と何かの事情で別れ、その心の痛みに耐えかね、もう一人の自分を探したいと思って巡礼の旅に出た」「自分を変えたい、ひょっとしたら変えることが出来るかも知れない」と思っている人々。純粋な宗教心から、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し巡礼することとは別に、いろいろな意味で心の痛手に耐えかねて歩いている人たち・・。人は誰でも毎日が忙しく、ただ無為に時だけが過ぎ去ってゆくこの現実の社会から抜け出したいと言う願望がある。
 
カミーノ・デ・サンティアゴ(サンティアゴへの道)は、そのような人たちも歩んでいる道でもあるかも知れないと、私には思えるのです。

 
巡礼の道の中継地「レオン」
 
スペイン「銀の道」とサラマンカの北180Kでジョイントするレオン。この街は古くはレオン王国の首都であり、スペイン巡礼の道への中継地として発展した街です。
 レオンの街の中心は、スペインの三大聖堂の一つに数えられる「カテドラル」です。13世紀後半に建てられたゴシック建築様式の傑作で、その調和のとれた神聖なまでの美しさは、見るものを圧倒します。 レオンのカテドラルは、外観の美しさと共に、120枚のステンド・グラスを使った内部の美しさでも良く知られているのです。


 
レコンキスタ(国土回復運動)をリードした街
 
レオン王国は、かつてイベリア半島全体がイスラム勢力の支配下にあった中世の時代でも、キリスト教勢力の中心地としても栄え、レコンキスタ(キリスト教徒がイベリア半島からイスラム勢力を駆逐するために行った解放運動)をリードした、キリスト教スペインの最大都市でもあったのです。

             

                   
レオンのカテドラル。13世紀後半に建てられた
             ゴシック様式の傑作で、その壮麗なたたずまいは
             「ゴシックの理想像」と呼ばれている。


 
サン・マルコス橋を渡ってすぐ、サン・マルコス広場に面して建つ大きな建物が旧サン・マルコス修道院です。レオンのカテドラルがゴシック様式の傑作なら、旧サン・マルコス修道院はルネッサンス様式の傑作です。 現在は、一部改装され、国営のパラドールとなっていますので、ここで宿泊することが出来ます。

          
      
            
ベルネスガ川に架かるサン・マルコス橋。 サン・マルコス修道院。今は、その一
        中世以来、どれだけの巡礼者がこの橋を  部が改装され、五つ星の国営パラド―ル
        渡ったのだろうか。           となっている。


 レオン以降、アストルガからの「巡礼の道」は次号に掲載します。
                                            アディオス。