マドリッド通信―93

フェリペU世大学・翻訳学部
PROFESOR 加 瀬  忠

 
オーラ ケ・タール?
 
お元気ですか、アランフェスの街より加瀬です。
 昨日の夕方、いつものように離宮庭園のタホ川沿いをジョッギングしていましたら、南側斜面の陽だまりで真っ赤なアマポーラの花を見つけました。この時季、日中の気温が30度近くに上昇しますと、アランフェスのメルカド(市場)には、アランフェス名物の白と緑のアスパラガス、大きなフレソン(イチゴ)が店頭を飾り、アマポーラの紅と共に季節の香りを運んでくれます。また、アランフェスの我が家から国道4号線をどこまでも真っ直ぐ南に走りますと、アマポーラ(虞美人草)の花が野原一面に咲き、ラ・マンチャの大地は、赤い絨毯を敷きつめたようなドン・キホーテの世界となります。

             

 
           アランフェスのメルカド(市場)の店頭を飾る季節の香りア
             スパラガス、フレソン(いちご)、ナランハ(オレンジ)と
             タホ川のほとりに咲き始めたアマポーラの花。いちご(写真
             右)が
1g1ユーロ50センチモ(約195円)、アスパラ
             一束
1ユーロ(約130円)、ナランハ3Kg3ユーロ(約3
            90円)。


 国境をこえて一つになるEU
 2004年5月1日、EU(欧州連合)は、現行の15カ国から25カ国体制に拡大されます。今回の新しいEU加盟の10カ国は、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニアの旧東欧圏5カ国、エストニア、ラトビア、リトアニアの旧ソ連圏バルト海沿岸の3カ国、そしてキプロス、マルタの地中海に浮かぶ2カ国の計10カ国です。
 
1946年、イギリスの宰相ウインストン・チャーチルがスイスのチューリッヒでヨーロッパ合衆国構想を提唱してから58年、拡大EUは旧東欧圏、ソ連圏諸国を加えて25ヵ国体制となり、ヨーロッパ合衆国構想は完結に向かっています。
 マドリッド通信90号でも申し上げましたように、今回の拡大は、旧東欧・ソ連圏の国々が、西欧諸国とジョイントして一つの連合国家をつくると言う、従来の国家の概念を超えた国づくりが平和裡に実現しようとしているところに、大きな歴史の節目とその必然性を感じさせられます。領土、人民、主権が国家構成の3要素とされていますが、かつて、その国家の主権の一部、または通貨を含めたかなりの部分を、戦争以外の方法で平和裡に委譲したという世界の歴史を私は知りません。NATO(北大西洋条約機構)の国々と旧ワルシャワ条約機構の国々という冷戦時代には敵対関係にあった国家群が、EUという一つの連合国家をつくるわけですから、これは21世紀の「壮大な国家の実験」でもあります。

 
EU統合の歴史
 
それでは、58年間にわたるEUの統合、さらに25ヵ国に拡大されるまでの「EUの歴史」を振り返ってみたいと思います。
 1946年 ウインストン・チャ−チル、スイスのチューリッヒでヨーロッパ合衆国構想を提唱。
 1952年 ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)発足。フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク(ベネルックス3国)の6カ国。
 1957年 EEC(ヨーロッパ経済共同体)発足。フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグの六ヶ国、域内の関税全廃と輸出入制限の撤廃、労働力・資本の移動・企業設立等の自由化を柱とする。
 1967年 EECとECSC、欧州原子力共同体を統合したEC(ヨーロッパ共同体)発足 フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク(ベネルックス3国)の6カ国。
 1973年 デンマーク、イギリス、アイルランドの3国加盟。
 1981年 ギリシャ加盟。1986年 スペイン、ポルトガル加盟。
 1993年 マーストリヒト条約(欧州連合条約)発効、EU(欧州連合)発足。
 1995年 オーストリア、スウェ−デン、フィンランド加盟。
 1997年 加盟申請中の国13ヵ国 エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、ルーマニア、ブルガリア、トルコ、キプロス、マルタ。
 2004年5月1日 上記の13ヵ国のうち、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、マルタ、キプロスの10ヵ国が新たに加盟。EUは25ヵ国体制となる。


 ユーロ圏、上半期は1.7%の成長見込み

 EU(欧州連合)の欧州委員会発表によりますと、ユーロ圏の経済は予測よりも堅調に推移しておりまして、2004年上半期の経済見通しは、域内総生産(GDP)の成長率を1.7%と見込んでおりますから、今後のさらなる成長拡大が期待出来るのではないでしょうか。
 
このところの外為市場でも、ユーロのドル、円に対する反発が目立ち、今朝(平成16年4月27日)の市場でも、円に対しては、129〜130円前後でもみ合っていましたので、今後の外為相場から目を離せそうにもありませんが、私は、このところ仏・独の両国を中心にして、EUに加盟する為の収斂基準の原則との兼ね合いから、少し気になる数字が目につくのです。収斂基準の一つである財政赤字幅が「GDPの3%以下」と言う自らが定めたルールを破る国が、仏・独をはじめ、ユーロ圏12ヶ国中の半分、6ヶ国にも及びそうな実態は、両国がEU統合の一方のリーダー的存在であるだけに、その求心力が失われることを懸念するのです。
 
EUの経済成長は、家計消費や内需全体の回復を前提に成長率1.7%と見込んでいますから、米国やアジア向け輸出等が好調な外需が内需を引っ張らないと、この数字は達成できないわけです。一方、スペインで起きた3.11列車爆破テロの影響で、スペイン国内をはじめEU域内では、内需の主役である個人消費が冷え込んでしまっており、このことが先行き不透明感に拍車をかけ、EU経済全体の新たなリスク要因となってもいるのです。

今こそ取り戻そう「担任と
        
生徒・保護者」との信頼関係―(2)


 日本の小・中学校で顕在化し、問題となっている「学級崩壊」や「生徒指導上の問題」等、荒れる日本の学校の現状に対して、その原因の一つに、「担任と児童・生徒、保護者の距離が離れ過ぎていませんか」と、マドリッド通信90号で発信・提言しましたところ、多数の読者の皆さんからお便りをいただきましたので、この問題を、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
 ここ数年、夏休み、冬休み等の休暇で日本へ一時帰国をした折々に、かつて日本の中学校長時代に苦楽を共にした管理職の皆さんと、「学校経営の現状と課題」について意見交換をするのですが、皆さん異口同音に「忙しくなった」「とにかく学校現場は多忙になってしまったよ」と語ります。「新しい学習指導要領が全面実施され、小・中学校が益々多忙になってしまったので、特別活動に位置付けられた『学校行事』等の時間数を大幅に削減または精選せざるを得ない現状だ」と言うんですね。
 平成
14年度から小・中学校で実施されている新しい学習指導要領は、第16期中央教育審議会の答申「新しい時代を拓く心を育てる」の趣旨を受けて、「人間性豊かな児童・生徒の育成」「自ら学び、考える力を育成する」「ゆとりのある教育活動の展開と個性を生かす教育の充実」「各学校が創意工夫し、特色ある学校づくりを進める」ことをコンセプトに、中学校では、総授業時数を1050時間から980時間に減じているのに「益々忙しくなってしまい『ゆとりある教育』が出来なくなってしまっている」のが現状だと言うんですね。その結果、学校祭や文化祭、遠足、体育祭といった教科以外の行事の時数を大幅に削減するか、精選しているのが現状だと言うんです。
 
本当にそれで「人間性豊かな」「課題を自ら見つけ、それをクリエートすることが出来るような、強烈な個性・独創性を身につけた児童・生徒」を育てられますか、というのが私の問題意識なのです。

 
学校祭・体育祭等、学校行事の持つ
                     
教育的意義

 
私が平成14年度から実施されている新しい「学習指導要領」に準じて編成している各学校の教育課程に危機感を覚えるのは、どう考えても、結果として「教育の目的と手段」を取り違えているように思えるのです。学習指導要領の持つ拘束性が、各学校の独自性、創意工夫に歯止めをかけている現実があるように思えるのですね。この教育課程編成の硬直性を打破するために、私たちが古くから取り組んできた教育、「行事を通して成長する児童・生徒」の教育的意義をもう一度考えてもらいたいのです。
 
私は、昭和39年に中学校の社会科教師として、「大和芋(やまといも)と妻沼ねぎ」の特産地、埼玉県北部の妻沼東中学校へ赴任して11年間、その後、妻沼西中学校で10年間、管理職になるまでの実に21年間を妻沼町の東・西両中学校で過しました。昭和39年という年は、東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通した年でしたが、当時も中学校は全国的にかなり荒れておりましてね、学校へ短刀を持ってきて凄んだり、赤い半纏を着て授業を受け、担任を困らせたりと、それは賑やかでしたよ。「つっぱっていて、担任の手に負えない子」「突然暴れ出す子」、いろいろな生徒がいましたが、私の生徒指導の根幹は、先ず児童・生徒一人一人の人格を尊重した生徒理解と保護者・地域社会の皆さんとの良い人間関係の構築、そして常に近すぎず、離れすぎず「適正な距離感を保った」日常的な係わり合いを大切にして取り組んできました。
 
まあ、学級担任をしておりますと、良いことばかりの毎日ではありません。こちらが「明るく楽しい、良い学級」を目指していても、生徒に怒りをぶつけ、叱らなければならない場面も多いんですよ。「弱いものいじめ」をしたり、「うそをついたり」「約束事、クラス内のルールを守らなかったり」の場面では、私も怒りをぶつけましたね。振り返ってみると、身体を張ってクラスの一人一人に接しなければならないような場面も多かったように思うのですが、こうなってくると、担任と生徒一人一人との間で、お互いの気持ちが通じ合うようになるのです。「今、担任の先生は何を考えているのかな」「子供たちは、何を望んでいるのかな」と、お互いにわかるんですよ。人の気持ちというものは、不思議なものです。
 
このような中での学校教育の現場で、私たちが時間を忘れて取り組んだ教育は、教科・領域の指導はもちろんですが、教科外のクラブ活動(今の部活動)、林間学校や運動会、学校祭と言ったような大きな学校行事でした。「行事を通して、児童・生徒も教師も成長する」を合言葉に、行事を成功させる教育に取り組んだものです。
 
児童・生徒の中には、普段の授業では全く目立たないような子が、教科・領域外の学校行事等になると、俄然力を発揮し、クラスや班を取り仕切ることが出来るような才能を持った子が多数いるのです。大きな学校行事等に取り組んでいる子供たちを見ていると、教室の中では見ることが出来なかったような「目の輝き」と「意欲的な取り組み」の姿を見せることが多いんですね。今で言う「生きる力」なのではないでしょうか。実に素晴らしいと思います。もちろん子供たちのそのような場面では、理屈ぬきで「よし・・」「そう、その通り」と、機を失せずに「褒め」「認める」ことが大切ですがね。
 
中学校の教師になって40年、今でも日本へ一時帰国をすると、当時クラスや教科で担任をし、クラブ活動(私は、陸上競技部や駅伝を担当していた)で教えた卒業生が集まって懐かしい林間学校のこと、学校祭、体育祭のこと、そしてクラブ活動のこと、さらに「先生に叱られたこと」等の思い出を語ってくれます。「先生、俺たちは先生に叱られた理由が良くわかっていましたから」と、当時をなつかしんでくれます。
 
今では会社や役所、学校等々、それぞれの組織の中で指導的な立場で活躍する卒業生の姿を見、彼らと共に過した日々を振り返る時、教科・領域外の学校行事等を中心とした学芸的・体育的行事の持つ教育的意義を、もう一度見直していただきたいと思うのです。
 
「今の教育の方向性は、座標軸が少しずれていませんか」と言う問題意識が私の提言なのです。これからの日本の中学校教育の方向性を大いに論じていただきたい。

 フェリペU世大学翻訳学部・学生との懇親会

 
過日、私の担当する翻訳学部の学生とマドリッドの日本料理店で懇親会を行いました。スペインの学生たちと日本料理を食べ、日本文化を大いに語ったのですが、学生たちのハイテク先進国・日本への興味と関心の度合いは大変なものです。

          

 
           私の担当する講座「JAPONES―U」の学生たちと。

 
日ごろ、授業の中ではなかなか聞くことが出来ない事柄について、一人一人の学生と話をしてみました。先ず、「クルトゥ−ラ・ハポネサ(日本文化)」を専攻したした理由について聞いてみたのですが、「スペインと日本の文化の違いを学習したい」「漢字に興味がある」「日本に友達がいる」「IT、自動車等の優れたハイテク技術を勉強し、将来日系の企業で働きたい」等が主だった動機のようです。
 次に、好きな日本料理について聞いてみましが、意外な答えが返ってきました。寿司、刺身、天ぷらはもちろんですが、当日の料理の中では、ぎょうざ、やきとりの他に、ほうれんそうのゴマあえ、ワカメの酢の物等、こちらがスペインの若者の味覚には合わないだろうと思っていた料理も、けっこう好んで食べているんですね。スペイン人の味覚も、ずいぶん変化してきたなーと、感じます。私が10年前にマドリッド日本人学校へ赴任した当時、醤油味はまだスペイン人の食卓には受け入れられてなかったですからね。当時は醤油、味噌を手に入れるのも大変でしたよ。醤油などは、学校で当番を決め、日本から一斗缶単位で輸入し、それを希望の量だけ配分していたのですからね。今では、その貴重な醤油もマーケットで売っていますものね。
 最後に、日本料理店ですから「お茶」と「抹茶アイス」のデザートが出たのですが、この日本茶、スペインの人たちの多くは、お茶に砂糖を入れて甘くして飲むんですよ。学生たちには、事前に日本の緑茶は砂糖を入れずに、そのまま飲むように指導してありましたので、当日はそのまま飲んでいましたが、味はわからなかったようです。お茶よりも、「抹茶アイス」に人気が集中していたようですから。

 アランフェスのおいしいもの


 アランフェスは、マドリッドの南50Kに位置する人口が43,000人の小さな街です。ラ・マンチャと言えば、セルバンテスの名作「ドン・キホーテ」でも描かれているように、国全体が赤茶けた褐色の乾いた痩せ地をイメージされと思いますが、アランフェスの街は、イベリア半島を東西に流れるタホ川の恵みで、流域一体が肥沃な黒土地帯となっており、大きなフレソン(いちご)と白・緑のアスパラガスの特産地としても知られています。アマポーラが真っ赤に咲くこの時期は、白いアスパラガス(写真左)のおいしいしい季節でもあります。

           
 
 
         白いアスパラガスとメルルーサ(白身魚)の天ぷら(写真左)。白
           いアスパラガスは、マヨネーズを少しつけて食べます。メルルーサ
           ・アラ・ロマーナ(メルルーサの天ぷら)は、日本の天ぷらに近い
           味です。海の幸パエジャ(写真右)は、えび、ムール貝、イカ、ア
           サリ等、海の幸をふんだんに使い、サフランで色をつけた「炊き込
          みご飯」です。


 食後のコーヒー

 スペインのレストランでスペイン料理を注文しますと、最初にスープかサラダ、またはパスタ類が出されます。これがプリメロ・プラト(第一の料理)。次に肉料理か魚料理出てきて、これがセグンド・プラト(メインの料理)。その後にプリン、アイス・クリーム、果物、ケーキ類等のポストレ(デザート)、そして最後にコーヒーをいただきます。もちろん食事中にはワインかビールの飲み物つきです。ワインは一本ついていますので、昼は飲みきれません。
 食後のコーヒーですが、スペインではお客のRQで、何種類ものコーヒーを出してくれます。先ず「カフェ・ソロ」。これは抽出したての濃いコーヒーを、小さなカップでそのままいただきます。次が「カフェ・コルタード」、これはカフェ・ソロに少し牛乳を入れます。そしてコーヒーと牛乳を半々に入れた「カフェ・コン・レチェ」。さらに「カフェ・コルタード」の逆で、牛乳にコーヒーを少し入れた「カフェ・マンチャ−ド」。そして最後が「カフェ・ボンボン」。これはコーヒーにコンデンス・ミルクをたっぷりと入れ、甘過ぎるくらいにして飲みます。ああそうそう、「カフェ・コン・レチェ」や「カフェ・マンチャ−ド」は、牛乳が熱いのと冷たいのと二種類あり、これもお客のRQに応じてつくってくれます。

            
 
 
          カフェ・ボンボン(左)と、カフェ・コン・レチェ(右)。我が家
            は、いつも妻がカフェ・ボンボンで、私がカフェ・コン・レチェ・
            フリアをRQします。