マドリッド通信―95

フェリペU世大学・翻訳学部
PROFESOR  加 瀬   忠

 
 拡大EU・スタート
 
2004年5月1日、EU(ヨーロッパ連合)はポーランド、ハンガリー、チェコ等、旧東欧の5カ国、エストニア、ラトビア、リトアニアの旧ソ連の3カ国、地中海に浮かぶキプロス、マルタの計10カ国を加え、25カ国体制でスタートしました。
                          
図―1・EU25カ国


EU(ヨーロッパ連合)の25カ国

 
英・仏・独・伊等、EU15カ国に新しく旧ソ連、旧東欧からの
8カ国とキプロスマルタの地中海に浮かぶ2カ国が加わり、
25カ国体制となった拡大EU。
(平成16年4月30日付 Yahoo ! Japan 朝日新聞より)

拡大EUの25カ国 英・仏・独・伊・スペイン・ポルトガル
アイルランド・ベルギー・ルクセンブルグ・オランダ・ギリ
シャ・デンマーク・スウェーデン・フィンランド・オーストリ
ア・ポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー・スロベニ
ア・エストニア・ラトビア・リトアニア・マルタ・キプロス


 1946年、イギリスの宰相ウィンストン・チャーチルが、スイスのチューリッヒでヨーロッパ合衆国構想を提唱してから58年、EUは当初の理念をさらに拡大・深化させながら完結に近づいています。
 
EUの源流は、1952年に発足したECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)です。この時の加盟国は、フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ)の6カ国でした。発足時のECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)のコンセプトは長年の懸案事項であった、フランスと西ドイツの対立を封じるために、石炭・鉄鋼という両国の基幹産業を共同管理下に置くことによって、ヨーロッパでの戦争を防ぐことが目的であったのです。
 
その後、1967年のEC(欧州共同体)を経て、1993年のEU(欧州連合)に拡大・発展し、さらに25か国に拡大したのです。今回の拡大は、旧東欧諸国、旧ソ連を含む旧共産圏の国々を迎えての連合国家の構築でありますから、大きな歴史の節目と捉えることが出来ます。
 
東西の冷戦時代に、東欧諸国と壁一つ隔てて向かい合っていた西ヨーロッパの国々と、旧東欧・旧ソ連の国々が、一つの連合国家をつくるために統合したのですから、これからの世界は、政治的にも、経済的にも、EUの動向から目が離せない時代がやってきたのです。東西の国々が一体化したEU(ヨーロッパ連合)の動きによっては、EUと米国との関係が大きく変わる可能性が多分にありますし、現に私の住んでいるスペインは、NATO(北大西洋条約機構)の一員でありながら、今次の一連の米国とイラクの問題で、はっきりと米国に「NO」といいましたし、この流れは、現加盟国と新しい加盟国での温度差はあるにせよ、EU域内で加速する兆しさえ見せているのです。

 
EU拡大による経済的なインパクト
 
それでは、EUの統合・拡大によって、経済的にはどのような影響があるのでしょうか。
 
先ず、考えられることは、EUの拡大によって経済、金融、貿易などの分野において安定したビジネス環境が確立したことと、需要の増加という視点であります。旧東欧・旧ソ連時代とは違った、新しいEUの規定に従って加盟各国の国内法が整備された自由なマーケットが出現したわけですから、これは大変な市場として成長する可能性を秘めています。
 
次に人件費等、低賃金・高い技術力を背景とした低コスト生産による、価格競争力のある製品の生産と、将来的にはさらに知的付加価値の高いものに工夫・改善出来る可能性、さらにこれら加盟国全体にユーロが導入された場合の、為替リスクのない一大市場が出現するという視点です。
 
そして三つ目の視点として、EU経済の将来的な可能性と期待感が、ユーロを世界の基軸通貨に押し上げるというシナリオが現実味を帯びてきているという臨場感とその可能性という視点です。

 
GDPで米国を凌駕する一大市場の出現

 

 
EUの拡大で、人口4億5千万人、GDP(国内総生産)9兆7千億ユーロという、とてつもない市場が出現したのです。この数字は、2003年のGDP(国内総生産)総額で、米国を上回っているのですから、私たちは米国一極主導で収斂してきたこれまでの世界経済の概念を払拭して、新しい21世紀の世界経済を再構築する時を迎えているのかも知れませんし、同時に領土・人民・主権の三要素を国家の概念とする従来の国民・国家のあり方をも問い直さなければならない時でもあるようです。

 
EU統合の歴史的必然性(2)
 
EUは、なぜ国境を超えて一つの連合国家になったのでしょうか。その歴史的必然性について考察してみようと思います。
 
「EU統合の根幹の理由は、平和のためだということを忘れてはならない」。欧州委員会のプロティ委員長は、統合の意義をこう説き続けています。
 
たしかに、ヨーロッパの過去の歴史は、果てしなき民族の対立・侵略、戦争の繰り返しでありました。古くは1339年から1453年まで続いた気が遠くなるような英国と仏との百年戦争、1870〜71年、独とフランスで戦った普仏戦争、そして1914年の第一次世界大戦、1939年の第二次世界大戦と、ヨーロッパを舞台にした戦争の繰り返しとその忌わしい思い出は、ヨーロッパの人々の平和に対する願いと「EUの統合」に格別な思い入れがあったのです。このことは、四方海で囲まれた日本で生活をしている私たちと、ヨーロッパの人々との「平和と安全」に対する認識が基本的に異なる部分なのです。 ヨーロッパでの生活は、隣の国は海外ではありません。隣の国と陸続きであるということは、国と国との移動に物理的な障害物がないわけですから、常に隣の国、そのまた隣の国との関係において緊張関係の連続であったわけです。 ヨーロッパでは、かつて「水と平和・安全」のコストは、とても高かったのです。

 戦争抑止力となり得る統一通貨「ユーロ」の流通
 
私は、EUの拡大・深化・完全統合の実現によって、当分の間、ヨーロッパを舞台にした戦争は起こらないのではないかと「マドリッド通信」で何回も発信してきましたし、その考えは、今も全く変わっていません。
 
統一通貨「ユーロ」の流通によって、従来のように、フラン、マルク、リラ等、ヨーロッパ各国が自国の通貨を増発することでの戦費調達は物理的に不可能になったわけですから、統一通貨ユーロの市場流通それ自体が戦争抑止力となり得ると思うからです。
 
ただし、それは加盟国が「EUの収斂基準を守ること」が前提条件です。加盟各国が、それぞれの国の事情で、財政政策の足並みが乱れ、「財政赤字はGDP(国内総生産)の3%以内」という、EU加盟のための厳しい収斂基準破りが放置されるようですと、私の論は説得力がなくなります。

 
ヒト・もの・サービス・資本の移動の自由化
 
今次のEUの拡大・統合により、現EU加盟15カ国と新たな加盟10カ国との間で、ヒト・もの・サービス・資本の移動は自由にならなければなりませんね。国境を仕切っていた物理的な障害物は一切撤去され、無くなるわけですから、列車で隣の国へ行っても、車でその隣へ行っても自由に行き来出来なければなりません。
 
私は、このあたりの事情を大変興味深く見守っていたのです。「自由主義国と社会主義国がジョイントして一つの連合国家をつくったとしても、本当にかつての東西の鉄のカーテンを超えることが出来るのか」。これが私のテーマであります。統合の理念は大きく報道されていても、それぞれの国での実態はどうなのでしょうか。
 
さっそく、2004年5月1日に新しく加盟した10カ国のうち、旧東欧のハンガリーとスロバキア、現加盟国のポルトガルでその実態を検証してみました。
 
出発地点はオーストリアのウイーン。列車でハンガリーの首都ブダぺストを往復する予定です。ウイーン西駅でブダペスト一等往復の切符を115.20ユーロ(約15、000円)で購入し座席へ。列車は、一等車と二等車に分かれており、何れもゆったりと座ることが出来ます。ブダペストまでは約3時間。列車は定刻どおりに音もなく発車。ウイーンの森を抜けて、郊外は見渡す限りの春小麦と菜の花畑地帯が続きます。うとうとしながら30分ほど時間が経過したのでしょうか、ふと気がついてみると、出入国検査官が乗客全員のパスポート・チェックをしているのです。

            

          
オーストリアとスロバキアの国境の街、ブラチスラバでの出入国検査。

 
マドリッドを出る時、EU域内は出入国検査はないはずですから、パスポートをどうするか、持つか、持たずに出るか・・と、迷ったのですが「旧東欧圏への旅なので念の為に持ちましょう」と、私も妻もパスポートを持ったのです。
 
この出入国検査は、帰路も同じで、ブタペストからウイーンへの帰りは、昼食時にスロバキアとオーストリア国境のブラチスラバにさしかかり、私たちは、食堂車で昼食をとっていたのですが、食事をしながら出入国の検査を受けました(写真)。
 
EUの統合・拡大でヒト、もの、サービス、資本の移動は自由化されているはずなのですが、それぞれの国々、末端では実態として出入国検査が行われ、パスポート・チェックが厳しくては、ヒトの移動は自由になったとはいえませんね。この辺の現地の事情は次号で報告いたします。                            (続)

 
アンへラおばさんのコシード・マドリレーニョ
 
私の住んでいるアランフェスの街は、マドリッドの南45Kに位置するラ・マンチャ地方真っ只中の街です。ラ・マンチャ地方の夏の暑さと乾燥はとても厳しいです。何しろ、私が今、夕方ジョッギングに出る7時過ぎでも、街中の温度計は37〜8度前後を示しています。7〜8月は、もう少し上がって、40度前後となるのです。
 
このように、厳しいラ・マンチャの夏の暑さを乗り切るためには、水分の摂取と食事によほど気をつけなければなりません。私は、長くラ・マンチャの街で生活していて、食事の面と生活面で、この地方の人々の生活の知恵とも思えるいくつかのことを学びました。先ず、食事面では肉類を中心とした料理を食べて体力をつけ、飲む野菜・ガスパチョでビタミンを補給し、体調を整えるのです。

         

    
セセーニャ村に住むアンへラおばさんの得意料理「コシード・マドリレー
   
ニョ」は、牛肉・チョリソ・モルシージャを野菜類と一緒に煮込む。

 アンへラおばさんの作ってくれた、ラ・マンチャ地方のスタミナ料理「コシード・マドリレーニョ」をかんたんに説明します。材料は肉類(牛肉、豚肉、鶏肉、ハモン・セラーノ、チョリソ、モルシージャ)。野菜類(にんじん、玉ねぎ、ジャガイモ、キャベツ、ガルバンソス、にんにく)。作り方、ガルバンソス(ひよこ豆)は、前の晩から水で冷やしておく。(アンへラおばさんは、前の晩にガルバンソスを冷やしておくのを忘れて、夜中に気付き、起きだして冷したのだと、ご主人のマヌエルさんが大笑いしていました)。
 
作る順序は、先ず肉類を煮込み、次に野菜類を入れ、かなり時間をかけて2時間くらい煮込んでいたかな・・。出来上がったコシード・マドリレーニョは、3回に分けていただきます。プリメロ・プラト(第一の料理)は、ソパ(スープ)です。チョリソ、モルシージャ等の熟成した塩味がスープの美味しさを引き出しています。セグンド・プラト(第二の料理)は、野菜類をいただきます。スペインのキャベツなどは、日本の春キャベツとは違って、かなり硬いのですが、とても柔らかく煮込んであり、日本のメイ・クイーンの味に似たスペインのジャガイモとニンジンの甘さがミックスして独特の味になっていました。全体的にかなり柔らかいので、子供でも美味しくいただけると思います。そして、本日のメインであるテルセロ・プラト(第三の料理)は肉類です。牛肉も豚肉、鶏肉も、すべて骨付きで煮込んでいますから、味が良く沁み込んでおり、チョリソ、モルシージャの塩味と骨付き肉の旨さがミックスしたコシード・マドリレーニョ独特の味となっています。
 
アンへラおばさんは、ジャガイモやニンジン、きゅうりなどの皮をむいたり、切ったりの作業を、まな板を使わずに包丁だけで済ませていました。包丁さばきは、実に見事なものです。
 
コシード・マドリレーニョのテルセロ・プラトには、赤ワイン、マルケス・デ・カセレスの94年ものがよく合います。

                    
         
コシード・マドリレーニョの材料(写真左)とラ・マンチャ、アンダルシア地方の
       
夏の飲む野菜「ガスパチョ(写真右)」。

 ガスパチョ・アンダルス
 
次にラ・マンチャ、アンダルシア地方の夏の「飲む野菜(ガスパチョ)」です。ベースになるのは、照りつけるラ・マンチャの強烈な太陽で大きく育った真っ赤なトマト、玉ねぎ、きゅうり、ピーマン、にんにく、オリーブ・オイル、それにパンですから、栄養のバランスが実によいと思います。これらをミキサーで砕き、氷でギンギンに冷していただきます。ガスパチョを飲んでいると、少々疲れている時でも元気が出てくるから不思議です。



アマポーラの花が満開です
アマポーラの紅とひまわりの黄色、ラ・マンチャ、アンダルシア
地方を表す色と
いっても良いのかも知れません。今の時期は、ア
ランフェスの丘の上やラ・マンチ
ャの野原一面に紅のアマポーラ
(虞美人草)が咲いています。夏休みの頃には、こ
の紅色が、ひ
まわりの黄色に替わりドン・キホーテの世界は本格的な夏を迎え
ます。





 私の財布の中は、ユーロ域内のコインで賑やか
 2002年1月よりユーロ域内の国々では統一通貨「ユーロ」が流通し始めました。ユーロのコインは、参加各国が自由にデザインしていますから、アランフェスで生活している私の財布の中は、レオナルド・ダ・ビンチが描いた「理想的な人体」のイタリア・ユーロ、モーツアルトのオーストリア・ユーロ、カルロス国王のスペイン・ユーロと、財布の中で世界旅行をして賑やかです。                                                         アディオス