マドリッド通信ー99

    −中学校長夫妻のスペイン生活−

フェリペU世大学・翻訳学部
PROFESOR  加 瀬  忠

 9月10日(金) 天気晴れ
 日本で過ごした長い夏休みも終り、再びマドリッド・アランフェスの我が家へ。成田発12時45分のJAL 411便アムステルダム経由でマドリッドまで17時間のフライトです。

 現地時間の17時35分オランダのアムステルダム着。ここでイベリア航空に乗り換えてマドリッドまではさらに2時間半のフライトとなるのですが、この空港では乗り継ぎがうまくゆかずに、何度アムステルダム泊まりになったことか。乗り継ぎ時間が2時間近くあるのですが、乗っている飛行機が時間通りにアムステルダムへ到着しないと、次に乗る予定の飛行機は待っていませんから、泊まりになってしまうのです。今回は、時間どおりに到着してくれましたので、予定通りにマドリッドへ到着出来そうです。

 アムステルダムの空港は広いので、乗り継ぎの2時間もあっという間です。空港の免税店も充実していますので、とても楽しく過すことが出来ます。
 19時35分、アムステルダムを出発し、22時少し過ぎにマドリッドへ到着しました。バラハス空港へは、マノロさん、アンへラさんご夫妻が迎えに来てくれていました。

 9月12日(日) 天気晴れ 
 朝食は、マノロさん、アンヘラさん、Srta.マリーナの家族と共に近所のバルでチュロスを食べました。スペインの人たちは、朝食やメリエンダ(おやつ)に揚げたてのチュロスにチョコラッテ(チョコレート)をつけ、カフェ・コルタード(エスプレッソ・コーヒー)を飲みながら食べるのが大好きです。
 チョコラッテはかなり甘いので、私はカマレロさん(ウエイター)に、カフェ・コルタードはシン・アスーカル(砂糖なし)で注文するのですが、アンへラおばさんは、甘いチョコラッテなのに、コーヒーにはさらに砂糖を3〜4袋入れて飲んでいますから、相当な甘さになっているはずですが、本人は全く平気なんですね。アンへラおばさんは、我が家で日本茶を飲む時も、砂糖をスプーンに5〜6杯入れて飲んでいますから、味覚が私たちとは違うのかも知れません。


                       
                          日曜画家、古切手、古銭市で賑わうマヨール広場。

 午後は、マドリッドの旧市街にあるプラサ・マジョール(マヨール広場)、プエルタ・デル・ソルへ。日曜日にはソル、マヨール広場を中心に、古切手・古銭市が、そしてマヨール広場からCalle de Toledo(トレド通り)をサン・イシドロ教会を左手に見ながら地下鉄La Latina(ラ・ラティナ)駅に向かうと、ラストロ(蚤の市)で大層賑わっています。


                       

 旧市街・プエルタ・デル・ソルのCalle de Preciados(プレシアドス通り)の賑わい。スペイン一のデパート「エル・コルテ・イングレス」付近。
 
マヨール広場周辺では、流しの音楽演奏があちこちで行われており、ミニ・コンチェルトを楽しむことが出来ます。私のひいきにしているホセさん、ホアンさんのグループも、今日は広場の中央で演奏していました。「G 線上のアリア」「アランフェス協奏曲」「アルハンブラの思い出」等がこのグループの主なる演奏曲目です。私は、向かい合いのバル、もちろんフエラ(外)の席でカフェ・コルタードを注文し、しばし時を忘れて演奏に聴き入りました。

                        

 
流しの音楽演奏もマヨール広場のあちこちで行われています。クラシック演奏が得意なハビエルさんのグループ(写真左)と、ポピュラー曲演奏が得意なフルートのハッサムさん、ベースのトーマスさん等、お馴染みのグループ(写真右)。

 9月13日(月) 天気晴れ
 私の勤務するフェリペU世大学・翻訳学部の、後期試験に合格しなかった学生の追試験第一日目です。この期間中に大学で顔を合わせる学生は、6月下旬の後期試験に合格しなかった学生ですから、学内で挨拶するのも、私としては、いつものように「受容的」且つ「共感的」な心情だけで接していられません。何しろ、私の担当するJAPONES −U、Wで、5人の不合格者が出ているのですから、思いは複雑です。
 午後8時、試験終了。サー、採点だ。5人とも合格点をとってくれると良いがなー。この試験が不合格だと、落第となってしまうのです。


 9月14日(火) 天気晴れ 
 今週、来週は、試験期間中で講義は休みです。
 朝食を早めに・・と言っても、9時過ぎにバルで済ませ、研究室へ。今手がけている研究論文の仕上げです。この期間中は、追試験の学生だけの出入りですから研究室はいつもより静かです。私の研究室「Cultura y Civilizacion Japonesa−T、U、V、W」は、日本人の私の他にスペイン人のパロマ教授の二人です。勤務時間は、講義とゼミナールの拘束時間が10時間。講義はPC を使って行いますので、教材・教具としてのソフトの開発にけっこう時間がかかりますが、学習指導要領に拘束されない講義というものは楽しいものです。

 9月17日(金) 天気晴れ
 アンへラおばさん家族と、「アサドール エル・コーラル・デ・ラ・アブエラ(おばあちゃんの焼肉屋)」と言う長い名前のレストランテで夕食の約束です。
 スペインの人たちの食事時間は、一般的な家庭で朝食が9時頃、昼食が2時半前後で、昼食の後4時半〜5時頃までシェスタでお休み。そして夕食が9時〜10時ですから、私たち日本人の食事時間とはだいぶ違います。シェスタの時間帯は、官庁、学校、商店等、皆店を閉めてしまいますから、街全体で活動が一時止まってしまい、街は静かになってしまいます。
 午後9時少し過ぎ、アンへラおばさん家族がみえました。約束の時間通り「エン・プント」に来てくれるスペイン人はほとんどいません。約束時間の20分〜30分遅れ、時に一時間遅れはごく普通ですからね。アンへラおばさん家族も、我が家と行ったり来たりのお付き合いをするうちに、我が家の日本的生活習慣「時間を守る」を理解するようになったのです。


                       

 上の写真は、
アランフェスの我が家のすぐ近く、Calle de la Reina( レイナ通り)にあるAsador El Corral de la Abuera(おばあちゃんの焼肉店)です。
 ここのレストランのお勧め料理は、Chuleton de buey a la piedra(牡牛の骨付き焼肉)。牡牛の骨付き肉を鉄板や炭火で直接焼くのではなく、石を炭火で焼き、焼き上げた石の余熱で薄くきったbueyを焼くのです。

                               

 
よく熱した石でChuleton de bueyを焼き上げるアンへラおばさん(写真)Bueyを芸術的に薄くスライスしてくれた調理人のカルロスさん。
 夕食の後、すぐ家に帰るのではなく、皆で街を散歩し、さらにキャフェテリアでお茶を飲みます。もう夜中の12時近くだというのに、街の通りは散歩する人で一杯です。金曜日、土曜日の夜は、この喧騒が延々と明け方まで続きます。我が家の週末は、いつも眠い目ををこすりながら月曜の朝を迎えるのです。

                      
                     
ゴベルナシオン通りに面した我が家のピソ。金曜日、土
              曜日の夜は、週末
を楽しむ人々の往来で、大層賑やかで
              す。


 9月18日(土) 天気晴れ
 今朝も快晴、抜けるような青空です。ラ・マンチャの大地は、「年間300日の晴天」なのですが、私が10日(金)に日本から戻ってからも、雨の降る気配は全くありません。
 「スペインと日本では、どちらが住み易いですか」と、日本でよく聞かれます。私は、「スペインの方が住み易いですよ」と答えます。その理由の一つが、この天候の良さなのです。

 スペインの秋祭り
 9月中・下旬のこの時期、スペイン各地では秋祭りでにぎやかです。
 日本から帰ってすぐに、私が前に住んでいたラス・ロサスの知人や床屋の親父さんから「秋祭りで賑やかなので、出かけて来ないか」と、誘いを受けていたので、久し振りに出かけてみました。懐かしいラス・ロサスの街では、午前中のエンシエロ(牛追い)、昼の市役所前大通りで炊き上げられる大鍋のパエジャ料理、夕方の闘牛、コンサート・音楽会、街外れに特設された夜店・・と、相変わらず賑わっていました。

 床屋の親父さん
 ラス・ロサスの街からアランフェスの街へ引っ越してから2年になりますが、散髪は、相変わらずラス・ロサスの親父さんのところで済ませています。
 「だいぶ寒くなったなー。日本にも春・夏・秋・冬があるのかね」「ところで、日本は中国のどのあたりにあるのだ」と、何回説明しても、生まれて此の方マドリッドより外へ出たことのない親父さんは私に聞きます。親父さんは、日本という国は、中国のどこかにあると思っているのです。そして、「お前、あまり働きすぎるなよ」「人生、今楽しまなくて、いつ楽しむんだね」と、人生観を語ってくれます。
 マドリッド通信を読み返していましたら、2000年10月号(マドリッド通信52号)に同じ内容で掲載していましたので、その記事を再掲します。

 人生今楽しまなくて、いつ楽しむんだね!               (マドリッド通信52号より)

 秋祭りの期間中,ラス・ロサスの街には私以上に仕事が手につかない人たちがたくさんいます。そのうちの一人が床屋のおやじさんです。もう準備の時から,私が夕方ジョッキングをしていると店の前に立って祭りの準備の進み具合を見ているんです。毎日ですよ。
  それでエンシエロの期間中は,今度は闘牛場の切符売り場のところに係り員のようにして立っているんですね。これも毎日です。闘牛が始まるのが午後5時半ですから,スペインではシェスタがあけて,店が一番忙しい時間なのに一杯機嫌で闘牛場にいるんです。
 私も毎日欠かさずに、勤めが終わってからすぐに闘牛場へ行くものだから、おやじさんも同じ事を思っていたようです。そこで、最後の日におやじさんに聞いてみたんです。「おやじさん,今仕事は毎日休みなの」とね。そうしましたら親父さん、「ガハハハ・・仕事ね―。そう言う考え方もあるなー。でもなー、俺はいつも酔っ払っているから。まあ・・人生うたたかの夢さ、今楽しまなくっていつ楽しむんだね」と、人生論を語ってくれました。そうです。私たち日本人は仕事や人生に真面目になりすぎているのかもしれませんね。
 人生ゆったりと悠揚迫らず,泰然自若として毎日の生活を楽しむスペインの人たちの生き方からは,学ぶところが多いんですよ。

     
    
仲良しの床屋のおやじさんと。
   仕事場にあるのは、鏡と椅子
   だけ。流しなどない。    

      
      
店の入り口。紳士の床屋と
      書いてあるが、床屋とはほど遠い。


 〜 ひとりごと 〜                               - マドリッドの理髪師 −
 イタリアの作曲家、ロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」は,学生時代に箱根駅伝のトレーニングで距離を踏みながら良く聞いたノスタルジック・サウンドです。
 マドリッドでは,自分自身の散髪にその情景を重ねていましたが,私の仲良しの床屋の親父さんは,少し違いました。何しろ店にあるのは椅子と鏡だけ。散髪が終って襟足を剃るのにも、石鹸も水もつけずに剃るものですから痛いの何の,とにかく乱暴なんですよ。それでも散髪代が1,300Pts(約700円),100Ptsのチップでサービス満点、おしゃべりがはずむスペインの人たち,いいなー。
                             注 ペセタはスペインの旧通貨、現在はユーロ。