アランフェス・ガイドブック

 

                                         世界遺産都市・アランフェス
                                                   
                                                   ARANJUEZ   Real Sitio
                                                
Patrimonio de la humanidad


          
                    

                
   


                           王宮と庭園をぐるりとひとめぐり

                               文・写真 加瀬 忠


 
目     次

  世界遺産都市・アランフェス

  1 プロローグ                               3
   世界遺産都市・アランフェス                       6
 2 アランフェスの歴史 啓蒙専制主義の時代                 8
 3 アランフェスの暴動                         8〜9
 4 アランフェスの街へのアプローチ                    10
 5 アランフェス、ラ・マンチャの荒野をレンタ・カーで           10
  (1) 電車でアランフェスへ                      11
  (2) バスでアランフェスへ                      12
 6 ツーリスト・インフォメーション
   − チキ・トレインとタホ川遊覧 −               12〜13
 7 王 宮                                13
  (1) 中国の絵画室 鏡の間                      14
  (2) 王座の間 磁器の間                    14〜15
  (3) アラブの間                           16
  (4) アランフェスの離宮で描かれた「カルロスW世とその家族」     17
 8 サン・アントニオ教会 −国王の礼拝堂―             17〜19
 9 イサベルU世公園                        19〜20
 10 広大な「王子の庭園」の歩き方                    21
  (1) 船乗りの家                        22〜23
  (2) 中国風の池                           24
  (3) アポロの泉                           25
  (4) 農夫の家                         25〜27
  (5) ハプスブルク家の人々とバラの花                 28
 11 花壇の庭園と島の庭園                        29
  (1) アランフェス協奏曲・第二楽章「アダージョ」           30
  (2) 島の庭園                         31〜33
 12 メルカド(市場)は庶民の台所                 34〜36
 13 闘牛とエンシエロ(牛追い)                     36
 14 フェリペU世大学・翻訳学部                     37
 15 アランフェスの朝市で買い物 −土曜朝市レポート−          38

  16 アランフェスの「イチゴ列車」                    41
  
(1) イチゴ列車の歴史                        43
  (2) 伝統のアランフェス・イチゴとの出合い
      − 加瀬 忠のアランフェス・イチゴ探査記−           44

  17 アランフェスの美味・珍味とホテル                   46
    
(1)      エル・ファイサン         ・・ キジ料理        46
    
(2)      カサ・ホセ            ・・ フォアグラ料理     46
    
(3)      エル・リンコン・デ・ゴドイ    ・・ 日替わり料理      47
    
(4)      エル・コーラル・デ・ラ・アブエラ ・・ チュレトン・デ・ブエイ
                           ア・ラ・ピエドゥラ   48
    (5) カサ・パブロ           ・・ エスパラゴス・ブランコ
                          
コン・サルモン      49
   
(6) エル・ラナ・ベルデ        ・・ メヌー・デル・ディア  50
 
18 食事時間に注意                            50
 
19 アランフェスのホテル                         51
  20 スペイン料理                            52
  (1) いわしの酢漬け、トルティージャ、マッシュルームの詰め物      52
  (2) 魚貝類のパエジャ、香草風味の串焼き                53
  (3) ニンニク風味の牛カツ、ガスパチョ、ソパ・デ・アホ         54
  (4) タコとジャガイモのパブリカ煮、鳥肉のチリンドロン         55
  (5) ピスト、きゅうりとトマトのヨーグルトサラダ            56
 21 伝統的なワイン造り −スペインのおいしい赤ワインが出来るまで−    57
  (1) 葡萄の収穫から破砕まで                      57
  (2) 破砕・浄化は長靴で                        58
  (3) 発酵とソンブレロ                         59
  (4) 酵母と酵素が発酵・熟成の主役                   61
     
a   圧搾                              61
     
b   ワインの熟成                          61
        c   クリアンサ レセルバ グラン・レセルバ               62
 22 アランフェス市内地図
 
23 アランフェス地図 名所旧跡等案内                66〜67
 
24 著者紹介                               68

  
   プロローグ

        


 学生時代からスペインと中南米・ラテンの国々の地理、歴史、伝統・文化に興味を持ち、ロス・パンチョスの歌った陽気なラテン音楽の「ソラメンテ・ウナ・べス」等、パンチョスのヒット曲の数々を口ずさみながら箱根駅伝のレース・コースで距離を踏み、へミングウェイの「日はまた昇る」を繰り返し読んでは、パンプローナの「闘牛」と「牛追い」の場面に自分自身の人生をオーバーラップさせて日本の中学校社会科教員の道を歩みましたが、この間いつかは「在外の教育施設(日本人学校)で勤務したい」との想いをふくらませてきました。

 平成6年4月、日本の文部省の派遣で「マドリッド日本人学校」へ赴任して、スペインの首都マドリッドの北15キロに位置するラス・ロサスの街へ住むようになってからは、勤務の合間に時折アランフェスの街を訪れ、春には真っ赤なアマポーラの可憐な花が赤い絨緞を敷き詰めたように野山を飾り、夏にはヒマワリの花が一面を黄色に染め、秋にはプラタナス、マロニエの木々が黄金色に映える美しい自然と、年間を通して四季折々にそれぞれの表情を見せてくれるラ・マンチャの世界遺産都市、アランフェスの街がいつも気になっていました。

 そんな想いを抱きながらマドリッド日本人学校・補習授業校で勤務していた平成13年、スペイン文部省からフェリペU世大学・翻訳学部PROFESOR へのオファーがありました。よく調べてみると、翻訳学部はマドリッド市内のモンクロアにある他の学部を離れて、アランフェスの街に独立してあると言うのです。スペイン文部省からのオファーを受けるも受けないもありません。かねてから私が望んでいたアランフェスの街で勤務出来るのですし、住まいも、今住んでいるラス・ロサスの街からアランフェスの街へ、それも出来るだけReal Sitio(離宮)の近くへ住む、と言う、学生時代からのノスタルジックな思いを、現実のものに変えることが出来そうな可能性のある話でしたから、思いは複雑でした。
 
 アランフェス王宮の起源は、16世紀にフェリペU世(1556〜1598)が手がけたReal Sitio(離宮)

           

建設がはじまりです。フェリペU世は、エル・エスコリアルのサン・ロレンソ修道院を造営したトレドとその弟子エレーラに命じて王宮建設を進めましたが、たび重なる火災で王宮建設はしばしば中断されました。しかし、王宮建設は歴代国王によってその後なおも進められ、1715年、ブルボン家のフェリペX世(1700〜1746)の時代に王宮はさらに拡張されました。
 国王の礼拝堂を含む宮殿の両翼の部分は、カルロスV世(1759〜1788)の時代にイタリアの建築家サバティーニによって建てられ、フランスのベルサイユ宮殿をモデルにした現
在の王宮の形が完成したのは、建設開始から実に2世紀以上も経過した、イサベルU世(1833〜1868)の時代だったのです。

 王宮と隣り合わせに広がる広大な「王子の庭園」は、カルロスW世(1788〜1808)が手がけたイギリス式の庭園で、総面積は実に150万平方メートルもあるのです。庭園の東端には「農夫の家」があります。名前は農夫の家ですが、カルロスW世が狩猟のために造らせた離れの館です。新古典様式で装飾されたその内部は、フランス・ロココ調スタイルで飾られた豪華で贅沢な建物です。

  アランフェスの街は、長い間、王侯貴族以外はこの街に住むことも、立ち入ることさえも許されなかった歴史を持つ街です。
 本文より、その歴史を引用します。
 「アランフェスは、フェリペU世の時代(1556年)からフェルナンドY世の時代(1759年)まで、一般の人々は住むことが出来なかった土地柄ですし、立ち入りさえも禁止されていた、と言う歴史を持つ王領地だったからです」 −本文43ページより−
 「アランフェスの街へ住みたい!」。私個人の強いこの思いとは別に、宮仕えの身の辛さ、日本からの派遣で勤務している身とあっては、勤務地の日本人学校・補習授業校から余り離れて住むことは出来ませんでした。この頃は、規制がけっこう厳しかったのです。
 
 平成13年、長い間勤務したマドリッド日本人学校・補習授業校校長職から、フェリペU世大学・翻訳学部PROFESOR職に専念することになりました。住居は、王宮のすぐ近く、ゴベルナシオン通りに見つけ、妻と共に静かに生活することが出来るようになりました。

        


 
今、夕方に勤務が終わって日課のジョッギングで我が家から数百メートルの「王子の庭園」へ行きますと、多数のスペインの一般の人々が同じようにジョッギングをし、あるいはストレッチの体操をしているのです。
 タホ川のほとりをなおも進みますと、ホアキン・ロドリーゴのギターの名曲「
Concierto de Aranjuez」のSegundo  Movimiento・アダージョがタホ川のせせらぎ、野鳥のさえずりと共に聞こえてくるような錯覚さえ覚えます。

 
フェリペU世の手がけた王宮のすぐ近くに一庶民が住み、カルロスW世の離宮庭園を自由に出入りしてスペインの人たちと運動や散歩の時間と空間を共有出来るという楽しさを実感しながら、スペインという国とラテンの人々の「オーラ・アミーゴ」の底抜けに陽気で明るい、懐の深さを感じています。
 そんな離宮と離宮庭園の世界遺産都市・アランフェスは実に魅力的で清潔・楽しい街です。


 世界遺産都市・アランフェス−ARANJUEZ  Real Sitio Patrimonio de la humanidad−を出版するにあたり、多方面にわたって的確な指導・助言をいただきましたカスティ−ジャ・ラ・マンチャ大学のカルロス・ルビオ教授、並びにフェリペ・センテジェス教授、スペイン料理のページを担当くださいましたスペイン料理研究家の浅野真美氏、貴重な資料提供で大変お世話になりましたサン・ビセンテ在住の佐々木要子氏に心より感謝申し上げます。
 有難うございました。
                                  平成16年12月 著者 加瀬  忠



                 世界遺産都市・アランフェス

           

 
 スペイン国王の王宮と緑の世界遺産都市、アランフェスへようこそ。
 
タホ川がゆったりと蛇行して流れ、川面にはプラタナスやマロニエの影が美しく映える王宮庭園の緑陰と、ホアキン・ロドリーゴの名曲「アランフェス協奏曲」第二楽章・アダージォの物憂げなギターの調べは、私たちを未知なる愛のノスタルジックな世界へと誘ってくれます。
 
アランフェスは、タホ川の潤す沃野にも恵まれ、フレソン(大きなイチゴ)、緑と白のアスパラガスの特産地としても有名です。新緑の季節から初夏にアランフェスを訪れ、広大な王宮庭園の散策に疲れたら、街並みの美しいアランフェスのバルやカフェテリア、タベルナで名物の大きなイチゴのフレソン・コン・ナタ(イチゴ・生ミルク)と白、緑のアスパラガスのサラダを是非召し上がってください。

               


 
また、ロマンチックな街並とプラタナスやマロニエの豊かな緑が美しいアランフェスは、2001年12月、街全体がユネスコの「世界遺産」に登録されました。

 
王宮
 
プラタナスの並木やマロニエ、西洋ポプラの巨木に覆われた緑深いアランフェスは、遠くイサベルT世、フェルナンドU世のカトリック両王の時代から王家の保養地として知られていましたが、ここに王宮が建てられたのは、16世紀の後半、フェリペU世の時代からでした。フェリペU世は、エル・エスコリアルのサン・ロレンソ修道院を手掛けたフワン・デ・エレーラに命じ、1576年から1586年にかけて王宮を造営したのです。1715年、ブルボン家のフェリペX世の時代に王宮はさらに拡張され、フランスのベルサイユ宮殿をモデルにして再建がすすめられ、途中何度も火災に遭いながらも、1839年イサベルU世の時代にほぼ完成しました。宮殿の内部では、ロココ調の「王座の間」、さらに「鏡の間」「アラブの間」などが見ものです。

            

                 
カスティージャ女王・イサベルT世(写真左)とアラゴン王・フェル
                 ナンドU世(写真右)のカトリック両王。

            

                    Avenida del Palacio
(王宮通り)の回廊から王宮(写真左)とCasa
                     Caballeros
(騎士の家・写真右)を望む。

 
アランフェスの歴史
 スペインが歴史上有名な無敵艦隊を擁し、七つの海を制覇していたフェリペU世の時代からフェリペW世の時代に至る約110年間(1556年〜1665年)は、スペインの黄金世紀といわれました。この頃、多くのパイオニアたちはアメリカ大陸に渡って大量の金・銀を自国に持ち帰り、インフラの整備、社会資本の蓄積に邁進しました。芸術分野では、ベラスケがLas Meninas(女官たち)、エル・グレコがEntierro del Conde de Orgaz( オルガス伯の埋葬)等不朽の名作を残し、偉大な作家セルバンテスは名作ドン・キホーテを書き上げました。さらに、スペイン語は英語と共に国際語となるほどの繁栄の基礎を築いたフェリペU世によって拓かれた街がアランフェスなのです。

 啓蒙専制主義の時代
 
18世紀の後半、スペインの新しい支配者となったフランス・ブルボン王家からの国王は、当時の支配形態の主流であったフランス流の中央集権的統治制度をそのままスペインへ持ち込み、国家の再建と王権の強化を目指しました。
 
カルロスV世(1759〜1788)の時代から取り組んだ改革は、まず政治制度の統一とスペインの公用語をカスティーヤ語に統一すること、さらに国内関税の撤廃、そしてフランス重農主義、イギリスの経済自由主義の色濃い影響を受けた啓蒙改革派の人々を要職に登用し、改革を進めようと試みましたが、国家は思うように機能しませんでした。

 革命と反革命の時代
      ― アランフェスの暴動 ― 
 
そのような歴史的、時代的背景の中で、アランフェスは、18世紀末から19世紀の始めにかけて、再び世界の歴史の舞台に登場します。カルロスW世とフェルナンドZ世の時代でした。
 フランス流に改革を推進しようとする啓蒙派に対し、伝統的諸特権を擁護しようとする一部貴族・聖職者は、1808年3月17日、アランフェスを中心にした近隣諸都市で多くの民衆を扇動して暴動を起し(アランフェスの暴動)、時の国王カルロスW世(1788〜1808)を退位させました。
 カルロスW世退位後、フェルナンドZ世(1808及び1814〜1833)が即位するのですが、4月にはカルロスW世が退位を撤回したので、カルロス派とフェルナンド派との紛争が続きます。スペイン国内のこの紛争に乗じて、ナポレオンは、カルロス、フェルナンド両国王に王位を放棄させ、自分の兄ジョセフを6月にホセT世ボナパルトとしてスペイン国王に即位させたのです。

           

                 
マドリッドの1808年5月2日、マメルーコスとの戦い。

             
               
マドリッドの1808年5月3日、プリンシぺ・ピオ山での銃殺。

 しかし、スペイン国内にはフランスの支配に反対する貴族・聖職者・ブルジョアが多数いました。このようなスペイン国内の複雑で不安定な政情の中で、1808年5月2日、マドリッド市民の反仏暴動が始まり、さらにはスペイン独立戦争(1808〜1813)へと発展するのです。しかし、この戦争の性格は極めて複雑であったのですが、スペイン国民の粘り強い、継続的なゲリラ戦術によるレジスタンスでフランス軍を駆逐し、1814年、カルロスW世の息子であるフェルナンドZ世が再び王位に就いたのです。

 アランフェスの街へのアプローチ
 
アランフェスをはじめ、ラ・マンチャ地方へのアプローチは、大きく分けて次の三つの方法があリます。
 1 タクシーやレンタ・カー等自動車を使っての移動。
 2 マドリッドのアトーチャ駅から出ている電車(セルカ二ア)に乗っての移動。
 3 マドリドの南バス・ターミナルから出ているバスを使う。
 これら三つの方法のうち、時間をかけてアランフェスの街をゆっくりと歩くのでしたら、
2の電車に乗っての移動か1のレンタ・カーを使っての移動をお勧めします。

              


 
レンタ・カー、タクシー等、車でアランフェスを訪れる場合は、ここルシニョール広場(写真・上)へ到着します。Calle de la Reina(レイナ通り)、Calle delPrincipe(プリンシぺ通り)、Calle de las Infantas(インファンタス通り)、Carretera de Andalucia(アンダルシア街道)等主要な通りは、すべてルシニョール広場が基点となります。

 
アランフェス、ラ・マンチャの荒野をレンタ・カーで
 
マドリッドの街からレンタ・カーでアランフェスの街へ向かう場合は、マドリッドの街をぐるりと一周しているM―30か、さらにその外側を一周しているM ―40からN −W(国道W号線)へ入るコースが分かり易いと思います。スペインの道路標識は、日本よりもかなり具体的で親切ですから、ナビ・ゲーターがしっかりと道路地図を見ていれば道を間違えることはありません。また、スペインの人たちの運転は、日本人の運転に比べてスピードが相当速く、かなり乱暴ですが、スペイン人気質を理解して流れに乗って運転していれば、むしろ日本の市街地での運転よりも安全です。流れは、一般的に100〜120キロぐらいです。N −W号を南へ約40K走ると、アランフェスの街へ到着します。

 
スペインと言えば、セルバンテスの名作「ドン・キホーテ」にも描かれているように、国全体が茶褐色の乾いた痩せ地をイメージされる方も多いと思いますが、ここアランフェスは、イベリア半島を東西に流れるタホ川の恵みで、流域一体が肥沃な黒土地帯となっています。自動車で訪れるアランフェスの街は、荒涼としたラ・マンチャの大地を走った後だけに、プラタナスの街路樹とその緑陰に一層心が和みます。
 
アランフェスの街は、フェリペU世の王宮を中心にして開けた街なのです。

           

                   Plaza de Parejas
(パレハス広場)から王宮を望む。

 
電車でアランフェスへ
 
ラ・マンチャ地方の入り口アランフェス方面へは、マドリッドのアトーチャ駅から電車が出ています。まるで宮殿のように美しいアトーチャ駅の4番線からアランフェス行きの電車(セルカニア)へ乗ると、45分で終点のアランフェス駅へ到着します。沿線の風景が美しいこの路線、実はアランフェスの王宮へ移動する王侯貴族のためと、アランフェスでとれる名物のイチゴ、アスパラガスをマドリッドの王宮へ運ぶために、1851年に敷設されたスペインで二番目に古い鉄道なのです。

          
 
 
マドリッドのアトーチャ駅(写真左)からセルカ二アで45分、赤煉瓦造りの美しいラ・マンチャ地方への玄関口、アランフェス駅(写真・前頁下右)へ到着します。

 
バスでアランフェスへ
 
マドリッドの南バス・ターミナルを出発したバスは、N−W号線を走り、アランフェス中央のバス・ターミナル(写真・下)へ到着します。また、マドリッドへの帰りのバスも同じターミナルから出発しますし、アランフェスからカンポ・デ・クリプターナやコンスエグラなど、ラ・マンチャの各地方へのバスもここが基点となります。

              

              
アランフェスのバス・ターミナルは、Calle de las Infantas(インファ
          ンタ
ス通り)とCalle del Capitan Angosto Gomez Castrillon(カピタン
          通り)
の交差点角にあります。

 
ツーリスト・インフォメーション
           
− チキ・トレインとタホ川遊覧 −

 
アランフェス駅から王宮までは、手入の良く行き届いたプラタナスの並木道を歩いて15分程です。春は若葉の鮮やかな浅緑が、そして秋は黄金色に黄葉したプラタナスの木々と落ち葉の絨毯を踏みしめて歩むCalle de la Estacion(駅通り)から、突き当たりを左折し、Carretera de Toledo(トレド街道)、さらにAvda.del Palacio(王宮通り)と進む静かな空間は、格別な美しさです。

                

                        
ツーリスト・インフォメーションは、サン・アン
               トニオ教会近く、
アンダルシア街道沿い(写真前
               ページ下)と王宮の手前
Avda.del Palacio(王宮通り
               )近くにあります(写真・下)。

              

                   
      
       チキ・トレインに乗ると、王子の庭園〜船乗りの家〜農夫の家〜
           闘牛場からアランフェスの街を一周出来ます。また、チキ・トレ
           インとタホ川遊覧船(写真下)を組み合わせたチケットを10ユ
           ーロで購入することが出来ます。


 Palacio Real(王宮)
 
アランフェスの王宮は、首都をトレドからマドリッドに移したフェリペU世が1561年に本格的な王宮建設をおもいたち、歴代国王の時代を経て18世紀の後半、カルロスV世の時代に完成しました。バロック様式も一部とり入れたルネッサンス様式で統一された調和のとれた荘厳な美しさは、見る者を圧倒します。宮殿内部には、それぞれに意匠を凝らした27もの部屋がありますが、中でもロココ調の「王座の間」「磁器の間」「アラビア風サロン」は圧巻です。アランフェスの王宮は一般公開されていますから、王宮内部を見学することが出来ます。スペイン語、英語、フランス語等のグループ編制でガイドが丁寧に説明してくれます。また、写真・ビデオ撮影等も、フラッシュがなければ許可してくれますから、カメラ・ビデオ等忘れないで下さい。

 中国の絵画室 

         

               
部屋一杯に飾られた176枚のこの絵は、すべて薄い上質紙のライス・
           ペ
ーパーに描かれています。

 
Mirror Room.(鏡の間)

         

           
王妃マリア・ルイサの間、後に国王・カルロスW世の更衣室としても使用され、その後
        は「鏡の間」として知られています。


 
Salon del Trono(王座の間)

                    

             「
Salon del Trono(王座の間)」は、赤のビロード張りの壁
             とフランスのル
イ15世時代の装飾様式であるロココ調の
             家具が配置されています。

 
Salon de porcelana(磁器の間)

                   
                
 
Salon de porcelana(磁器の間・写真前ページ下)」は、部屋全体が草花模様、人物、動物等の見事な焼き物で飾られています。この珍しい装飾は、カルロスV世によってナポリから呼ばれたデザイナーのグリッチ、エンジニアのシェペルスらの合作によって完成しました。この美しい純白透明性の磁器は、1763年から1765年にかけてマドリッドで焼かれたブエン・レティーロ焼きで、Buen Retiro Factoryから運ばれました。

 Salon Arabe(アラブの間)

          

          
 
アラブの間は、アルハンブラ宮殿の「二人姉妹の間」を再現した部屋です。イサベルU世と配偶者フランシスコ(カディス公)の為の「喫煙室」として使われていました。

 
アランフェスの離宮で描かれた「カルロスW世とその家族」
 
「カルロスW世とその家族」は、ゴヤの代表的なタブローの一つですが、この代表作を描くために、カルロスW世の家族13人はアランフェスの王宮に呼び集められた、といわれています。プラド美術館にある縦280センチ、横336センチのこの大作は、ゴヤが首席宮廷画家に任じられた1899年の翌年に描かれました。

            

               
  ゴヤの代表的なタブロー「カルロスW世とその家族」

 サン・アントニオ教会
        
− Real Capilla(国王の礼拝堂)−

 王宮からAvenida del Palacio(王宮通り)を200メートルほど東方向へ進むと、進行方向右手にサン・アントニオ教会が見えてきます。王宮通りは、左手にParterre(パルテレ)公園を眺めながら歩くのも風情がありますが、並行しているThe “caballeros”House arc.(騎士のアーケード)を歩むことをお勧めします。日中でも薄暗い騎士のアーケードを歩んでいると、数世紀前に活躍したサンティアゴ騎士団 の勇姿が脳裏をかすめ、自分自身が遍歴の騎士になったような錯覚を覚えるから不思議です。

 
サン・アントニオ教会は「Real Capilla(国王の礼拝堂)」でもあります。もともとフェリペW世(1621〜1665)の礼拝堂だったものを、王立礼拝堂として改装されたのです。Real Capilla(国王の礼拝堂)という名前は残っていますが、今では一般庶民にも開放されており、日曜日には由緒正しいこの教会で結婚式を挙げる若いカップルを多く見かけます。結婚式を終えた新郎・新婦は教会から車で新婚旅行に出るのですが、多くの親族や友人たちが車のデコレーションに意匠を凝らし、車一杯に花を飾りつけ、空き缶をガラガラと車に引かせて新郎・新婦を送り出すのです。何とも愉快なラテンの人たちです。
 もちろん、カソリック教徒でない、仏教徒の私たちでも教会の中に入って、一緒に祝福することが出来ます。

                
 
日中でも薄暗いThe “Caballeros”House arc.(騎士のアーケード・写真左)とサン・アントニオ教会へと続くCalle de la Florida(フロリダ通り・写真右)。

                    

                  
サン・アントニオ教会・Real Capilla(国王の礼拝堂)。

                   
                 
ビーナスの泉として知られるFuente de Mariblanca(マリブランカ
           の泉)から、サン・アントニオ教会(写真左)を望む。


                     
 
サン・アントニオ広場からマリ・ブランカの噴水を望む。写真右前方がルシニョール広場とレストランテ「エル・ラナ・ベルデ」。菩提樹の美しい黄葉はアンダルシア通りの晩秋。

 
イサベルU世公園
 
サン・アントニオ広場からアンダルシア通りをはさんで「イサベルU世公園」があります。庭園内は、樹齢150年以上のプラタナスの巨木がラ・マンチャの強い日差しをさえぎり、市民の憩いの場となっています。園内には、幼少時のイサベルU世(1833〜1868)の像(写真次ページ・右)があります。
 また、イサベルU世公園と並行しているインファンタス通りの歩道には、アランフェスでは数少ない土産物店が並び、観光客で賑わっています。

          
   
                
イサベルU世公園(写真左)と幼少時のイサベルU世(1833〜
          1868)の像
(写真右)。樹齢150年以上のプラタナスの巨木と
          抜けるような青空が美しい。


                     
 
Pza.Santiago Rusinol(ルシニョール広場)からCalle de la Infantas(インファンタス通り)を進むと、舗道には椅子やテーブルが並べられ、多くの観光客がゆったりとしたアランフェスの一時を楽しんでいます。進行方向右手はイサベルU世公園。

      

 
18ページの「The “Caballeros”House arc.(騎士のアーケード)」を逆の方向から望む。進行方向右手に見えるのが「騎士の家」
                          広大な王子の庭園の歩き方へ
                        浅野まなみさんのスペイン料理