マドリッド通信ー104

フェリペU世大学・翻訳学部
PROFESOR  加 瀬   忠

 メルカド(市場)は市民の台所
 
アランフェスのメルカド(市場)は、街の中心・市役所前広場の向かいにあります。メルカドには、アランフェスの郊外でとれた新鮮な野菜、果物、肉類、ガリシアの海から直送の魚等何でも揃っており、さしずめアランフェス市民の台所と言った感じがします。
 
赤茶けて痩せたメセータ大地のスペインにあって、ここアランフェスは、肥沃な農地と農業用水に恵まれ、名物のフレソン(大きいイチゴ)、ラ・マンチャの春の味覚、白と緑のアスパラガス等々、新鮮で豊富な野菜や果物が驚くほど安い値段で売られており、朝・夕には近隣の村々からの買い物客で賑わいます。

                      
                   
         
     瀟洒なアランフェス市役所(写真・上)と、市民の台所メルカド
           (写真・下)。


                 
    
                      
                      

 
メルカド(市場)内の魚屋さん(写真上・左)と肉屋さん(写真上・右)。魚屋さんの店頭には、スペイン北部、ガリシアの海から直送のメルルーサ、ドラダ(黒ダイ)、アジ、イワシ、イカ、タコ等、日本でもなじみの魚類が並び、客のリクエストに応じて「ハサミさばき」も鮮やかに、見ている前で調理してくれます。

     

 
肉屋さんには、牛肉、豚肉、鳥肉、羊肉、ハモン・セラーノ、チョリソ等が大きなかたまりで無造作に並んでいます。八百屋さんの店頭には、春先から初夏にかけて、アランフェス名物のフレソン(大きなイチゴ)、アスパラガス、そしてラズベリー、ブルー・ベリーが並びます。またアランフェスでは、毎土曜日の午前中に「土曜朝市」が開かれます。メルカドから南へ闘牛場方面へ延びるCalle de Postas(ポスタス通り)の両側に衣料品、クツ、革製品から日用雑貨品にいたるまで露店市が立ちます。
 Calle de Postasと交差するCalle de las Eras(エラス通り)には、アランフェス近郊の農家から、とれたてのトマト、アスパラガス、イチゴ、オレンジ、メロン等が届きます。どれも驚くほどの安さで、オレンジなどは5Kで4〜5ユーロ(520〜650円)です。

                       

                     
アランフェスの銀行や商店、バル、レストランテが集まる
              市役所前広場。お祭りや大きな行
事の時には、ここ、市役
              所前広場がイベントの中心会場となります。

 
闘牛とエンシエロ(牛追い)
 
アランフェスのエンシエロ(牛追い)は、春祭りの後半に行われます。スペインのエンシエロ(牛追い)については、へミングウェイが名作「日はまた昇る」の中で、パンプローナの牛追いをリアルに描いていますが、アランフェスの牛追いは、道中よりもアリーナの中に入ってからの方がトロス(牡牛)を走って飛び越える若者がいたりして、一段と賑やかで勇壮です。

             
 
 
闘牛場(写真左、中央)と併設する「闘牛博物館(写真右)」。闘牛場は、市役所裏のCalle del Almibar(アルミバール通り)を1キロ程南へ行った突き当りです。エンシエロ(牛追い)は、市役所裏からスチュアート通り、アルミバール通り(写真左の通り)を駆け抜け、闘牛場へと追い込みます。また、闘牛博物館には、アランフェスの闘牛と、王室・闘牛の歴史がわかり易く解説されています。

 
フェリペU世大学・翻訳学部

            

     
   アランフェスのカピタン通りとフェリペU世大学・翻訳学部(写真左・右の建物)。

                   
 
アランフェスの朝市で買い物   
                        −
加瀬 忠の土曜朝市レポート・平成16年2月−

 
 毎週土曜日の午前中、アランフェスの街で賑やかな土曜朝市が開かれます。
 
アランフェスの街の中心、市役所前広場のメルカド(市場)からCalle de Postas(ポスタス通り)沿いに闘牛場までの約1Kと、ポスタス通りと交差するCalle de las Eras(エラス通り)に、近隣の農家の人々、陶器屋さん、衣料品・雑貨屋さん等が店開きします。
 
土曜日は早めに朝食を済ませ、妻と共に朝市会場へ出かけます。私たちのお目当ては八百屋さん。何しろ、とれたての新鮮な野菜や果物が驚くほど安い値段で売られているのです。トマト、イチゴ、オレンジ等々、どれも新鮮で目が輝いてしまいます。

             

                 
アランフェスの朝市。真冬だと言うのに、オレンジ、メロン、イチ
           ゴ、トマト等、
新鮮な野菜・果物が驚くほど安い値段で売られています。

  今週はトマト2Kg、バレンシア・オレンジ5Kg、大きなメロン1個、グリーン・アスパラガス一束、レタス一個を買って、8ユーロ50センティモ(約1、105円)でした。家へ帰って数を調べてみましたら、私の大好物のトマトが一個15円、バレンシア・オレンジが一個14円と言った具合です。この真冬の寒い季節に、何故トマトが一個15円で買えるのか疑問に思ったものですから、いろいろと資料を調べてみました。

 分かりましたよ・・その理由が。アフリカの西、大西洋上に点在するカナリア諸島、そうコロンブスが1、492年にウエルバの港を出てアメリカ大陸を発見する途上で給水の為に立ち寄ったあの島ですね、あのカナリア諸島はスペイン領土なんです。常夏の別天地・カナリア諸島では、年間を通して野菜・果物の栽培が可能なのです。
 グリーン・アスパラガスやマンゴー、アボガドは冬のこの時期南米のペルー、エクアドル、アルゼンチンからの直送です。 何しろ中南米諸国は、メキシコからアルゼンチン、チリまで、ブラジルをのぞいた国々が全てスペイン語圏の国々です。そして、赤道をはさんで北と南では、気候が逆になりますから、南半球の国々は今、真夏なのですね。そこから直送しているわけですから、新鮮な野菜・果物類がスペインのメルカドの店頭に並ぶわけです。
 ラ・マンチャの中央部は、赤茶けたメセータ大地でかなり乾燥していますから、植生は乾燥に強いオリーブ、コルク樫、オレンジなどが目立ち、その栽培には適するのですが、野菜・果物の農業には厳しい条件の国です。このような厳しい気象条件の中でも、ここアランフェスはタホ川の潤す肥沃な黒土地帯に恵まれ、スペインでも数少ない豊かな農業地帯となっています。春には、名物の大きなイチゴ、ホワイト・アスパラガスがメルカドに出回ります。また、マドリッドのアトーチャ駅からはイチゴ列車が出て、たくさんの人たちで賑わいます。

             

               
  毎週土曜日の午前中に開かれるアランフェスの朝市。市役所広場
            前のメルカドか
ら西へ約1K、闘牛場前まで八百屋さん、果物屋
            さん、衣料品・雑貨から陶器屋
さん等が店を出し、買い物客で賑
            わいます。

            
 
              
タラベラの焼き物が並ぶ陶器屋さん。色と斬新なデザインは断然スペイン。

            
 
               
絨毯屋さんと懐かしいLPレコードがずらりと並ぶレコード屋さん。

                     
 
八百屋さん。バレンシアでとれたバレンシア・オレンジが、5Kで2ユーロ75センティモ。家へ帰って数を数えてみたら25個入っていました。何と一個14円です。このオレンジ、スペインの人たちは2〜3個そのまま搾り、スモ・デ・ナランハ(オレンジ・生ジュース)として飲みます。

 アランフェスの「いちご列車」
 5月第一週から9月第二週までの土・日曜日、マドリッドのアトーチャ駅からアランフェス駅間に、昔懐かしい蒸気機関車の「いちご列車」が走っています。
 
アトーチャ駅を午前10時05分に出発すると、アランフェスへは10時55分に到着するこのいちご列車、実は154年前、1851年に敷設されたスペインで二番目に古い路線を走っている蒸気機関車ですから、車中では、イサベルU世(1833〜1868)の時代へタイム・トリップしたような、ノスタルジックで優雅な旅を楽しむことが出来ると思います。

           

                          

                     
アランフェスの駅へ到着した「いちご列車(写真・下)」
              と、アラ
ンフェス入り口の丘の上に群生するアマポーラ
             (写真・上)。


 また、5月中旬から6月にかけてのラ・マンチャ地方一帯は、真っ赤なアマポーラ(ひなげし)の咲く季節です。アトーチャ駅を出発した列車が、ピント駅を過ぎ、バルデモーロ駅からシエンポスエロ駅にさしかかるあたりの沿線一帯には、野生のアマポーラが咲き乱れていますから、もし時間に余裕があり、車かタクシーで移動出来れば、シエンポスエロからアランフェスへのCarretera de Madrid(マドリッド街道)のハラマ川に架かる橋を越えた地点でアランフェス方向へ右折せずに、そのまま真っ直ぐ細い道を丘の上に登りますと、赤い絨緞を敷き詰めたような見事なアマポーラの群生(写真・前ページ上)を見ることが出来ます。
 
もちろん、アランフェス特産のいちごのフレソン・コン・ナタ(いちごミルク)とアスパラガスのサラダは、春先から初夏にかけて、アランフェスの街のバルやカフェテリア、レストランテ等、どこででも食べることが出来ます。
 
帰りは、アランフェス発18時00分、アト−チャ着18時50分です。料金は、王宮等の入場料も含んで大人23ユーロ、2歳から12歳までが15ユーロです。

                    

                       
 
熱帯植物園を思わせるようなアトーチャ駅の待合室。イチゴ列車の出発ホームは、スペインの新幹線「AVE」の発着するこの待合室の向かいです。ここの待合室には、バル、カフェテリア、レストランテ、キオスコ等があり、いつも世界各国から大勢の観光客で賑わっています。

 イチゴ列車の歴史
 マドリッドのアトーチャ駅から、ラ・マンチャのアランフェス駅までは現在、セルカニア(電車)で45分、イチゴ列車で50分で行くことが出来ますが、1851年以前はどのようだったのでしょうか。電車がなかった時代には、王侯貴族といえどもお馬車(写真・下)に乗って45キロの道のりを行くしかなかったのです。45キロの道のりは、「お馬車」で5時間かかったのです。

              


 
1851年、スペインで二番目に古いアトーチャ〜アランフェス間の路線が開通した当時の王様は、フランス・ブルボン王朝の流れを汲むイサベルU世(1833〜1868)でした。アトーチャからアランフェスまでの鉄道敷設の構想が浮上した当時に、一番問題となったのは路線の問題でした。アランフェスは王領地であった為に、鉄道線路をアランフェスのどこを通したら良いのか、と言う問題です。何しろ、アランフェスは、フェリペU世の時代(1556年)からフェルナンドY世の時代(1759年)まで、一般の人々は住むことが出来なかった土地柄ですし、立ち入りさえも禁止されていた、と言う歴史を持つ王領地だったからです。
 
ところが、鉄道と駅舎建設に必要な広大な土地の確保と言う、この難問も、イサベルU世の王領地の提供で全て解決するのです。
 
アランフェスの駅から王宮までの、プラタナスの美しい並木道を、今でもAvenida del Palacio(王宮通り)と呼んいますし、アランフェス駅からの引込み線は、島の庭園まで延びており、イチゴ列車建設の歴史を感じさせます。

 伝統のアランフェス・イチゴとの出合い
    
                  − 加瀬 忠のアランフェス・イチゴ探査記 −


 季節には「イチゴ列車」が運行されるほどスペインでは有名なアランフェスのイチゴ、さぞやアランフェスの郊外では、いたるところでイチゴ畑が見られるのだろうな、と思って、親しい友人のマノロさん、アンヘラさんご夫妻にこのことを聞いてみましたら、「Sr.加瀬、今、アランフェスで売られているフレソン(大きなイチゴ)の大部分は、ウエルバ産なんだよ」と、意外な答えがかえってきました。ウエルバと言えば、アランフェスの遥か南、1492年にコロンブスがアメリカ大陸に向けて出帆した、地中海に面した港町です。マノロさんにそう言われてみると、たしかに私がアランフェスに住み、夕方、勤務が終わってから毎日のように王宮庭園とその郊外をジョッギングしているのですが、近郊の畑で栽培されているのは、白と緑のアスパラガス、ブロッコリー、アセルガ、カリフラワー等の野菜類で、アランフェス名物のイチゴは、あまり見かけません。私は、このことを日ごろから疑問に思っていたのです。

               

              
   アンへラさんが大事に育てているアランフェス・イチ
            ゴの原種。フラ
ガリア・バージニアとフラガリア・チロ
            エンシスの交配種だとのこと。


 「我が家に昔からのアランフェス・イチゴの『フレサ』の苗があるからいらっしゃいよ」と誘いを受け、さっそく、セセーニャ村に住むマノロさん宅へ伺ってみました。なるほど、アンヘラさんが大事に持ってきてくれた「フレサ」の苗には小さなイチゴの実(写真)が実っていました。アンヘラさんが言うには、このイチゴは「フレソン(大きなイチゴ)」ではなく、アランフェスの「フレサ(小さなイチゴ)」なのだそうです。いただいたイチゴを味わってみましたが、私が日ごろ食べている大きなイチゴ「フレソン」と違って、酸味が強く、昔、日本で食べたイチゴの味にかなり近い味がしました。

 「フレソン」と「フレサ」

 
大きな「フレソン」と小さな「フレサ」って、一体何が、どう違うの?
 
いろいろとお話を伺っているうちに、いくつか疑問点が残ったものですから、アランフェスのイチゴの歴史と現状について少し調べてみました。

       


 
アランフェスでイチゴが栽培されるようになったのは、フェリペ五世(1700〜1724、1724〜1746)の時代だったようです。フランス・ベルサイユ宮殿で生まれ育ったフィリップ(後のフェリペ五世)は、祖父の太陽王・ルイ14世も大好物だった、ベルサイユ宮殿の庭園で栽培された酸味の強いフレサ(小さなイチゴ)の味が大層お気に入りでした。
 スペインのカルロス二世にお世継ぎがなく、ルイ14世の孫にあたるフィリップが、フェリペ五世としてスペイン王に即位したとき、ベルサイユ宮殿の庭で栽培していたイチゴの苗をスペインへ持ち込んだのです。その時のイチゴ苗は、今のように大きな実を稔らせるフレソンではなく、イチゴの原種に近いフラガリア・べスカ種だったと考えられます。以後、アランフェスでは、フラガリア・べスカ種の流れを汲む小さな実をつけるフレサが栽培され、名物のアランフェス・イチゴとしてスペインの人々に愛されてきましたが、時は移り、1970年代に国策の大転換が行われ、小麦栽培に国から奨励金が支払われるようなると、アランフェスの農家の人々は、イチゴ栽培から安定した小麦栽培に、その後換金作物として効率のよい、しかもアランフェスの気候・風土に適し、栽培が容易なトウモロコシ、白と緑のアスパラガス栽培に転換してしまったのだそうです。
 
アランフェスの郊外に出ますと、スプリン・クラーで潅水し、大規模に栽培しているのは、名物のフレサではなく、アスパラガス畑等が目立ち、名物のアランフェス・イチゴは、今では、ごく少数の農家の人々が伝統を守って栽培しているのだ、と聞きました。

        「アランフェスの美味・珍味とホテル」「スペインの美味しい赤ワインが出来るまで」