マドリッド通信ー108


  カセ41会教育懇談会特集

 日時 平成17年2月13日(日)15時00〜17時00
2 場所 妻沼町 中央公民館・視聴覚室
3 基調講演  加瀬 忠氏  スペイン国立フェリペU世大学・翻訳学部 教授
4 司  会  小林芳明氏  日本たばこ勤務
5 パネリスト 福島眞次氏  警視庁・警察署課長
 
       吉野晴康氏  東工業株式会社・本部長
 
       大島敏男氏  有限会社大島精工・社長
 
       大島美津男氏 電機会社勤務
 
       塚田祐二氏  三洋東京マニュファクチャリング会社勤務
 
       大鷲 実氏  有限会社コムテック・社長
6 基調講演

  小・中学校教育の現状と課題
 
皆さん、本日はお忙しいところ、「カセ41会教育懇談会」にお集まりいただきまして、誠に有難うございます。心より御礼申し上げます。
 実は、去る1月22日(土)に行われました妻沼駅伝大会の終了後、カセ41会の皆さんと繰り出しました伊香保での懇親会の折に、私が昭和39年に妻沼東中学校の社会科教員として赴任し、皆さんを初めて担任した当時の、懐かしい「新任教員の教育論」がいろいろと出まして、その話の内容が実に面白く、一方ではこれからの学校教育の方向性を示すような示唆に富んだ内容が多かったものですから、小林芳明君に「『41会の教育懇談会』を持てないか」と、幹事役も含めてお願いしましたら、快く引き受けてくれまして、本日の懇談会の運びとなったわけです。

 
小林君、面倒な役どころを快くお引き受け下さり、本当に有難うございます。
 さて、私は中学校の教員になってから42年になります。最近は、教育講演会等で、昔の教育と今の教育を比較し、「教育論」を論ずることが多いのですが、学校教育と家庭・地域の教育力を含めた、昨今の教育に対して大きく二つの点で危機感を感じています。
 
「今の教育は良くない、そしてこれからはまだ悪くなる」という、学校教育に対する負の認識が私の問題意識なのです。

 高邁なる公徳心・「公」の精神の欠落
 
その一つは、21世紀の国家を背負う小・中学生の多数に、人としてより高邁なる「倫理観・道徳観」が希薄化し、もしくは欠落してきている、という現状に対してであります。
 
私は、埼玉県北部の保守的で静かな妻沼の街の東・西中学校で、長い間教科指導、生徒指導等に取り組んできましたが、この間、昭和55年頃からだったかなー・・、日本経済が右肩上がりで成長を続け、質的充実よりも量的拡大に日本経済全体が走っていた頃から、中学校の生徒の気質に、「ある変化」を感じておりました。「自分さえ良ければ、他者はどうでも良い」。「利他より利己」。「公より私」と言うようなエゴイズムが学級の中で顕在化してきたような気がするのです。生徒会の役員や文化祭の実行委員というような役どころに立候補したがらない、「今、自分に出来ることは何か」「公の為に、自分は何を為し得るのか」というような、人として大切な公徳心、高邁な「公」の精神が忘れ去られ、風化してしまっているのです。
 
 古来より日本では儒教の四書・五経を経典、よりどころとする道徳観がありました。ぜいたくよりは質素、怠惰よりは勤勉、奔放よりは規律、争いよりは協調
(東海旅客鉄道・葛西敬之氏)と言うような崇高な社会規範が厳然と生きていたのです。今こそ、このようなよき伝統を復活させ、古き良き日本の教育を規範とした「21世紀の教育ルネサンス」に、国民全体で取り組まなければならない時だと考えます。

 
今の学校教育に欠けているもの
 
私は、今の小・中学校教育に欠けているものは、人が、人として社会に生きてゆくために必要な諸々の基本的な価値観、倫理的・道徳的な価値観をはっきりと子供に教えていないことだと思うのです。「それは違う」「間違っている」と、学校でも、家庭でも、地域でも、大人がはっきりと子供たちに言ってないことだと考えるのです。「公」の観念を家庭教育・学校教育の中で子供たちに指導しなければならないのに、大人がここを避けてしまっていないだろうか。家庭では我が子に、学校・地域社会では時代を背負う子供たちに、それぞれの立場で発言しなければならない時なのに、大人は、何を遠慮しているのだろうか。

 
私の住んでいるスペインでは、このあたりの分担は非常に明確でありまして、自分の子供の躾については、家庭の責任で行っていますし、家庭でもあいさつや「公」の為に心を向けるような「利他」の精神は、しっかりとしつけています。「誰も見ていなくとも、神のみは見ている」という、神をよりどころとした「心の教育」がしっかりと行われていることが、スペインの社会を築き上げているのだと私は思います。

 
基礎・基本の学習を
 
二つ目は、小中学生を含めた青少年の学力低下の問題であります。
 皆さんも新聞等でご覧になり、先刻ご承知のことと思いますが、昨年末に発表された「国際学力調査」の結果を考察してみますと、日本の小中高校生の学力がかなり低下し、落ち込みが著しいのです。これは、小・中学生に、学習の基礎・基本がしっかり指導されていないからなのであります。基礎・基本とは一体何か・・。学習の基礎・基本とは「読み、書き、そろばん(算数・数学)」の能力であります。小学校時代からこの能力を繰り返し指導しなければ、さらに高度な専門的な学力は積み上げられません。「自ら学び、考える力」は、基礎・基本の積み上げの上で可能なのです。

 
また、同時期に行われた「教育」に関する世論調査でも、子どもの学力低下を不安に思う人が8割を超え、保護者の学校教育への不安感は、「授業時数の削減」50%、「教科内容の削減」36%、加えて、学力低下の原因として「教師の質の低下」を挙げている人が、41%もいるのです(平成17年2月6日付 読売新聞)。
 
このことは、多くの保護者の学校教育への不信感の表れであり、国民の声でもあります。
 
これからの小・中学校教育をどうするのかを、今、国民的レベルで論ずることが課題なのです。
 
私は、今の小中学生の学力低下の原因として、根本的には、新しい学習指導要領を挙げたい。

 皆さんご存知のように、新しい学習指導要領は、「人間性豊かな児童・生徒の育成」「自ら学び、考える力を育成する」「ゆとりのある教育活動の展開と個性を生かす教育の充実」。「各学校が創意工夫し、特色ある学校づくりを進める」をコンセプトに、平成14年度から小・中学校で全面実施されています。中学校では、総授業時数を1、050時間から980時間に、各教科の指導内容を、おおよそ2割近くも削減しているのです。指導の質と量を削減し、後退させれば、子どもたちの学力が下がるのは当たり前であります。この「自明の理」をなぜ直視できないのか、不思議です。
 
過日、私の勤務するフェリペU世大学・翻訳学部で、日本とスペイン・EU 各国の義務教育段階での「教育課程編成の原則と手順」を調べ、比較・検討してみましたが、教育課程編成の質・量(総授業日数、時数、各教科・領域の指導内容等)において、新しい学習指導要領の全面実施前(2002年4月以前)の日本の教育課程は、総合的に、スペインや他のEU 諸国よりも、はるかに優れていると思えるのです。私の学部の学生たちも、「日本の義務教育に学ぶ」ことに目を向けている学生が多かったのです。

 「総合的な学習の時間」の問題点
 
新しい学習指導要領で、さらに看過出来ないのは、いわゆる「ゆとり教育」、つまり「総合的な学習の時間」の取り扱いであります。国語、算数・数学等、教科の時数を減じて、「人間性豊かな児童生徒」を育成するために、「総合的な学習の時間」を特設して、せっかく「国際理解教育」「情報教育」「福祉教育」等に取り組んでいるのに、現場の取り組み方に問題が露呈しているのです。教師の恣意的な解釈で、貴重な「総合的な学習の時間」に、「テープを聞かせるだけの英語」や、担任がPC の操作が出来ないから、前任者からのインター・ネットを使ったリアル・タイムでの「国際理解教育の授業」を積み上げられないような「総合的な学習の時間」では、所期の目的はとても達成出来ません。「指導出来ない」から「しない」では、プロの教師は務まらない。出来ないことは、出来るように研修していただきたい。それが出来ないのなら、退場していただくしかない。企業では、21世紀の厳しい競争を勝ち抜くために、セル方式を受け入れ、厳しい研修を重ね、技術を積み上げているのですから、学校の教師もここは頑張っていただきたい。学校は、閉ざされたモノカルチャー社会ですから、教員が、なかなか指示に従わず、管理職も大変だとは思いますが、リーダーシップを発揮して、出来ない教員を、出来る教員に変えていただきたい。

 
21世紀の世界経済は、知的付加価値の高い製品を創り出し、他国とその品質の良さを競う時代です。「勝ち組」として残るためには、わが国は人的資源を育てなければ勝ち残れないのです。優れた人材を育成するための、これからの小学校・中学校教育に期待します。
 駄弁を弄して大変失礼致しました。
 本日は、「カセ41会」の皆さんに、中学校時代を振り返っていただき、大いに当時の教育を語っていただきたいと思います。



 「カセ41会教育懇談会」

 
司会 皆さん、本日はお忙しいところ、「カセ41会」の教育懇談会にご出席いただきまして有難うございます。司会の大役を仰せつかりました小林です。どうぞよろしくお願いします。
 
これから、昭和39年〜41年当時、担任の加瀬先生がドラスティックな教育で、私たち生徒一人ひとりに、数多くの思い出深い印象的な学級経営、教科指導、部活動指導等をしてくださった思い出を、大いに語っていただきたいと思います。実は、私にとりましても、その一つひとつが、ノスタルジックで且つ鮮烈な印象として今でもよみがえり、ある意味では、このことが、現在でも私の人生の指針となっているような一面も感じています。

 
そこで、本日は皆さんに当時を振り返っていただき、このことを次のように4つのカテゴリーに分けて語っていただきたいと思います。1つは、社会科の授業での思い出。2つめは、ロングホーム・ルーム(学級活動)での日々。3つめは、部(クラブ)活動指導。そして4つめは、先生の下宿での強烈な忘れられない思い出についてです。
 
先ず初めに司会者から当時の思い出を述べさせていただきます。今でも印象深く残っているのは、夏休みの宿題の「日本地図」の作製と「歴史年表」の作製です。両方ともかなりのボリュームがあり、相当苦労したことを鮮明に憶えています。また、先生は社会科(地理・歴史)のテストの成績優秀者を廊下の掲示版に張り出しました。そのことは、頑張って良い成績を取れば、自分の名前が張り出されると言うことで、私には相当の刺激となりました。
 
大島(美) 当時の事をザックバランに話をしてみれば、私から見た先生の印象は、「何だか凄い先生が来たな」と言う強い印象が有ります。しかし、話してみると面白いし、親しみを感じました。私たちの話す、その話題を逃さない所がありました。
 吉野 人は誰でも評価されたい、認められたい、と言う意識があります。誰かがそう言うかたちで評価され、結果を張り出されれば俺も、と言う気持ちになります。そのようなハングリー精神を植え付けてくれたのだと思います。
 大鷲 私は、試験結果を張り出したことについては、いい事だったと思っています。私自身、頑張って学習に取り組むきっかけになりましたから。インパクトは強烈でしたよ。


           

 
吉野 僕はいつも張り出されたいと思っていました。名前が載った生徒はそれだけ努力した訳ですから、評価されてしかるべきです。これは私の持論ですが、組織のコンセプトを、努力しない人に合わせてしまうと、組織は共同体化してしまいます。元来、企業や組織は、専門職を志向する職能集団でなければならないわけですから、努力をして頑張っている人が相応に評価される企業が健全な企業なのだし、社会でも、全く同じことが言えるのだと思います。ところが、今は、学校でも、社会でも、それに逆行するような事をしているからおかしくなる。
 司会 悪平等の弊害が、学校の随所に見られますからね。
 塚田 日本地図や歴史年表を作成した事により、全体像が見えるようになったね。
 吉野 重要な出来事は赤文字で書いたり、これはきっちり憶えようとする出来事は太文字で書いたりね、その他の事柄は細字で書いて工夫していました。出来上がった歴史年表は、まさに教材そのものでしたよ。それは、今の私のノートにも生きている。先生は、生徒をあきさせないようにする事が上手かったように思います。悪い事をした時は叱る、そのことはすぐに家庭に広がるから、先生に叱られた事は家庭で話せない。今度は親父に怒られるからね。当時は家庭と学校との連携が実に見事だったと思う。今みたいに、学校に任せきりではなかった。
 司会 先生が日本地図とか歴史年表の作製を生徒に課した目的は何だったのですか。
 加瀬 一番考えたのは、いろいろな、個性豊かな子供たちに同じ課題を与え、それぞれが、それぞれの形で仕上げることによって、達成感、成就感を味わってもらいたいという気持ちが強くあった。自己実現の場とも考えていたな。
 吉野 加瀬先生が発信されている「ウェブ・サイト(マドリッド通信)」についてみても、インターネットは10年前と比べれば、比較にならないくらいの量の情報が送受信出来るようになりました。それくらい
PC 、情報文化 は進歩しています。しかし、残念ながら多くの高齢者がそれを利用出来ないでいる。中高年を含めてPC の技術を学習出来ないでいるわけですが、中学生時代にしっかりと学習できていれば、そんなことはなくなる。私自身にこのことを重ねてみると、中1の時の日本地図、中2の夏の歴史年表をつくったことに通じてくる。その時考えたことは、「まとめる事と表現力」でありましたから。

           
  
                 
吉野晴康氏     塚田祐二氏     司会・小林芳明氏

 司会 「まとめる事と表現力」、自己実現に通じるものがありますね。
 吉野 そう言えると思います。今、私は会社でも教育訓練を実施しています。それは鍛えることに等しいと思います。鍛え方によっては間違った方向に進む事もあります。陸上競技について言えば、ただ単に走っているだけでは力は蓄積されない。学習がなければだめである。メニューに基づいて練習を積み重ねなければならない。それにより目標は達成出来るものである。そのことを中学時代の私たちで考えてみれば、日本地図の作製、歴史年表の作製は、物事の達成感の喜びを味合わせる為に、あの気が遠くなるような課題を与えてくれたのではないでしょうか。先生は、そのことを通じて物事の組み立て方とか、表現力とか、学習の大切さを学ばせようとしたのかもしれない。
 司会 あの頃は、夏休みはゆっくりと休みたい気持ちはかなりありました。この2つの宿題は精神的にも肉体的にも大変ハードでした。その辺皆さんはどのように感じていましたか、またそれがどのような事に影響を与えましたか。
 塚田 日本地図や歴史年表を作成する事により、全体像が見えるようなったね。
 吉野 当時から加瀬先生は、生徒がいいことをすれば褒め、悪い事をすれば叱る、いわゆる「信賞必罰」の教育を実践されていました。ところが今の学校教育は、生徒を「躾ける」とか「叱る」教育よりも、どちらかといえば、自由とか平等というような美名のもとに、放任の教育に偏っているように思えるのです。平等という概念が、「競争・市場の原理」を避けて通り過ぎてしまい、教育の座標軸の方向性が少しずれてしまっています。自由と放任は違いますし、義務の伴わない権利主張は、人間関係をひどく硬直化させてしまいます。このことは、受け入れ側の企業から言わせてもらえば、常識的な社会人として必要な、基礎・基本さえも身につけていない人間を学校が送り出し、雇用する企業の側で「再教育」しているという現実も知って欲しいと思います。


           

 
司会 なるほど、基礎・基本さえも身に付けていない生徒が多い。
 
吉野 そうです。今、東工業株式会社では、近隣の中学校からの職場体験学習の受け入れ先として、生徒を多数預かっていますが、生徒一人ひとりは非常に真面目で、こちらの指導を真摯に受け入れてくれています。指導すれば人は変わるのだという当たり前のことを、送り出す側もしっかりと受け止め、責任を持って教育して欲しいと思います。
 
司会 「指導すれば人は変わる」と、吉野氏が言っておられることは、多くの人が頭では理解していても、現実の問題としては、そのことを避けて通ってしまっています。今こそ、学校でも、家庭でも、また地域社会でも、教育の原点に戻る時なのかも知れませんね。
 司会 塚田君はどのように感じていたのでしょうか。
 塚田 今まで先生のいいことばかりでていますが(笑い)、授業時間は50分ですよね、その時間すべて集中しつづけることは出来ません。生徒があきてきた頃、先生は、ちょっと脱線して生徒をリラックスさせてくれた事を憶えています。
 大島(美) 先生はよく脱線していたよ。また、生徒をよくニックネームで呼んでいました。自分もミツオではなくカマキチと呼ばれていました。小林(司会者)君は、ホウメイと呼ばれていましたね。
 塚田 俺は渡船場のユーチャンと呼ばれていた。(笑い)
 司会 今、地域と教員との関わりがほとんどなくなっているようです。保護者が逆に学校・教員と対立しているように思えますが。
 大鷲 そう、そんな学校と保護者の対立の関係はよく聞くよ。加瀬先生の印象は熱血漢であった事です。今の若い先生からは、熱の入れ方が伝わってこない。加瀬先生に学校で叱られても、その「叱られた理由」が良くわかっていましたから、自分でも納得していました。今の生徒には経験出来ない事です。
 司会 なるほど、叱られた理由が良くわかっていた。これ、大事なことのような気がしますね。今は、クラスで何かがおこって、教師が叱ると、今度は親が怒ってしまう。
 大鷲 何もしない人、何も言わない人を育てるのではなく、何かをやる人、人と違った事を言う人を育てる事が重要なのではないでしょうか。先生は昔その様なイメージを持って指導に当たっていたのでしょうね。この子はここが優れている、この部分を育ててやろうというような。
 加瀬 クラスの子たちは、それぞれがいろいろな潜在能力を持っていてね、運動が良く出来る子、音楽・芸能の方面に優れた子、勉強が良く出来る子など、その子の持っている良さを認め、伸ばすことは、いつも考えていたね。
 塚田 当時は学校に活気がありましたよね。
 吉野 先生は授業中黒板に文字を書くだけでなく、よく生徒の脇を歩いていましたよね。そうすることにより生徒とのコミュニケーションを図ろうとしていたのでしょうか。
 加瀬 そう、そう・・「机間指導」ね。生徒一人ひとりの学習状況を見ることによって、それぞれの問題点を発見し、その場で個別指導が出来るんだよ。これにはかなり時間をかけたな。
 塚田 俺は、当時からあまり成長していないような気がする。中学の時に習ったことはよく憶えているが、それ以降のことについてはそうでもない。

 
ロング・ホームルーム(学級活動)について
 
司会 当時、土曜日の4時間目にロング・ホームルーム(学級活動)の時間があり、ステレオでの音楽鑑賞があった。洋楽を聴くのは珍しく、非常に印象深く、私の記憶に残っています。皆さんはどんな印象を持っていますか。
 福島 クロードチアリの「夜霧のしのび逢い」が印象に残っている。
 塚田 当時は強いカルチャー・ショクだったのかもしれない。あの頃は、どこへも行ったことがなく、何も知らない私たちにとっては、まさにそれだったのかもしれない。ナット・キング・コールの歌もよく歌ったよな。
 加瀬 あの頃、あの相当大きいステレオをどのようにして教室に運んだのだろう。忘れてしまったよ。
 大島 リヤカーで運んだのです。
 加瀬 リヤカーか・・、いや、懐かしいなー。
 福島 当時ステップも教えてもらったのを憶えています。またクリスマスの頃は黒板にホワイト・クリスマス、ジングルベルなどを書き、それを歌いました。枯葉についても、歌詞を原語で憶えていますよ。授業中の英語はほとんど覚えていないけれども、当時歌ったシャンソン等の歌詞は、いまでも原語で憶えているのだから不思議だ。おれも英語の才能があったのかもしれない(みんな笑い)。
 司会 加瀬先生は当時、先生独自の学級経営や生徒指導、部活動の指導、教科外の活動を実践されていたわけですが、他の先生から何かいわれなかったのですか。
 加瀬 いやー、いろいろ言われましたよ。
 塚田 加瀬先生の「カリスマ的な教育実践」を、理解してくれている先生はいたのですか。
 加瀬 私の実践を理解し、支援してくれている仲間は、少数だけれどもいたんだ。他の職員に足を引っ張られることの方が多かったけれどもね。そういうことは聞き流して、子どもたちのことを考えて行動していたな。

 
部活動について
 
司会 当時家の都合で部活を休む事があったのですが、その時「欠席届」を出した事を懐かしく思います。その届けも、必ず親に書いてもらわなければならなかった。本人が書けば受け付けくれなかった。

             
  
    
           大鷲 実氏    福島眞次氏     大島美津夫氏

 大島(敏)当時のことで思い出す事は、中島君のことだね。マネージャーをやっていた中島君は、脚が悪かったんだが、先生がいろんな所へ連れて行ってくれたね。2年生の志賀高原の林間学校の時、白根山の火口までおんぶしてつれてってくれた。本人は、林間学校へは「行かない」って、言ってたんだけどね。中島君は、その後とても喜んでいたことを思い出すよ。また、キャンプファイアーもやりましたね。体を墨で黒く塗り、フラダンスをして、ダンスが終って墨を洗い流すのに、木戸池へ飛び込んだことは忘れられないよ。木戸池は真っ暗で、飛び込むのは怖かったんだが、先生が先に木戸池の中に入って待っていてくれたから入れたよ。
 
福島 あの時は、本当に怖かったなー。何しろ木戸池が真っ暗なんだから。加瀬先生が担任でなかったら、あのような体験は出来なかっただろう。その様な事をしてもらったことは非常にいい思い出になっています。
 司会 当時、先生は言葉遣いに厳しかったですね。目上の人に対しては、「さん」をつけて呼びましたね。
 福島 目上の者に対する「さん」づけ、それに挨拶も厳しかったね。
 大島(美)冬のある日、部活動終了時に先輩のかけ声練習を笑った時、先生にひどく叱られたことを今でもよく憶えています。
 福島 当時先生は、「陸上日記」を毎日書くことを指導されましてね、この事は先生が今言われた「読み・書き・そろばん」の指導と共通しているのではないかな。(笑い)先生は当時から基礎・基本を大切にしていたんでしょうね。当時「陸上日記」以外は、書くことはほとんどなかったから。
 大島(敏)当時の「陸上日記」は、今でも残してありますよ。飯能ロード・レースのゼッケンも残してあるし、ユニホームも残してあるよ(皆さんすごい・・の歓声)。
 塚田 当時先生が、電車で駅伝やロード・レースの試合に連れて行ってくれたことは、非常に記憶にのこっています。大変有難い事だったと思っています。
 大島(敏)宝登山ロード・レースの写真は、思い出として残っているなー。
 大島(美)そうそう、長瀞駅前での写真は俺も持っているよ。
 福島 先生にいろんな所へ連れて行ってもらった。俺は田舎者だから、家族でそれ以外の所へは、ほとんど行かなかったから、嬉しかったよ。
 福島 高校を卒業してからも、走る時は赤のラインの入ったパンツで走っていた。先生は特に赤のラインが好きだったから、その影響を強く受けたのだろうと思う。ユニフォームについても、目標記録を達成した人とそうでない人でユニホームを変えていましたね。先生はそのことによって、「よし、俺もレギュラーのユニホームを着てみせるぞ」というような、生徒に意欲を喚起する考えだったように思います。
 吉野 当時、福島君は天才的な速さだったからね(笑い)。
 福島 長距離をした人は全てに先生と関わっていたように思う。俺は先生と原宿まで陸上パンツを買いに行った。
 大島(敏)当時霞が関のゴルフ場で一緒に走ったり、色々な所へ行ったなー。
 福島 試合度胸をつける為に、八木橋デパートの買い物客がいるところで、おにぎりを食べたり、「大勢に見られても恥ずかしくない様にしなさい」と言われた。今の基礎は当時に作られた様に思う。「恥ずかしい」と言うと、先生に怒られたよ。それが試合の時に生きていた。当時「大学生になったら、箱根駅伝の選手になれる素質があるぞ」と、言われて嬉しかった。

 司会 カセ
41会の駅伝について話してもらえますか。
 
大島(敏) 10年前に、息子が妻沼駅伝に出場するということで見に行ったら、先生がアンカーで走っていたので驚いたよ。雪が降った日だったな。
 
加瀬 ああ、そうだったな。当時は、小島中学校の校長をしていて、小島中チームとして出場していた。
 大島(敏)そこで塚田君に会い、駅伝に出場しようか、ということで始まった。
 福島 その後、先生がスペインに行ったこともきっかけになった。

 司会 先生の下宿先での思い出を語ってください。
 福島 当時初めて、先生の下宿でポテト・サラダと食パンにバターをつけて食べたんだ。マヨネーズも珍しかったな。
 塚田 今の時代だから何でも食べているが、当時の妻沼ではスーパー・マーケットも何もない時代だったからね。
 福島 チーズなどもね。あれを食べると、記録が良くなると言うんで・・、先生の下宿でいろいろと珍しいものを食べさせてもらった。
 大島(敏)あの頃先生の下宿に長距離のメンバーが集まり、6畳の部屋で、ミニ合宿をやりましたね。
 福島 6畳の部屋に何人寝たのだろう・・押入の上・下に4人、6畳の部屋に6人、台所に2人寝た。6畳一間の下宿で12人も寝たんだ。
 大島(敏)布団はどうしたのだろう。
 福島 布団なんかないよ、みんな雑魚寝でごろごろ寝たのだから。

               
       
 
             41会会長・大島敏男氏    41会幹事長・小林芳明氏

  塚田 俺は、勉強を教えてもらったことを憶えているよ。
 吉野 先生の下宿でどのようなトレーニングをしていたのだろう。
 福島 土曜から日曜にかけて練習したよ。朝10キロくらい走った。そのあいだ先生がカレー・ライスを作ってくれていた。じゃがいも、人参、野菜等は家から持って行った記憶がある。
 大島(美)先生のところに泊まりに行って、風呂に連れていってもらったり、アイスクリームをごちそうになった事を憶えている。
 
司会 当時皆さんはどうして陸上競技部を選んだのですか。
 
大島(敏)当時は陸上競技につて何の知識もなく、ただ駆けっこでもすればいいのだろうという気持ちだった。それでも辞めればしごかれるので続けた。なかば強制的だったよ(笑い)。
 福島 当時はろくなランニングのシューズもなく、いまでも初めて買ったシューズは何となく憶えている。ゴム底だった様な気がする。先生から「タイガーのシューズを買え」といわれ、親に買ってもらった記憶があるよ。
 司会 当時の親は、その様なことをどのように見ていたのでしょうか。
 福島 俺の親は喜んでいたよ。
 吉野 心配はしていなかった。
 大島(敏)家に帰って先生に叱られたといえば、よけい親に叱られたもんだ。
 福島 俺はそのことを言えば、さらに親に怒られる事が分かっていたから言わなかったよ。
 司会 先生の下宿での思い出は、他に何だろう。
 吉野 3年の時に勉強を教えてもらったな。受験勉強だよ。
 塚田 長距離の生徒が多かった。
 吉野 先生は、「成績が下がったら試合に出さない」と、よく言っていたから。
 塚田 文武両道を目指していたのだね。
 福島 1,2年の時も勉強教えてもらったよ。先生だけでなく、先生のお姉さん、弟さんにも教えてもらった。
 塚田 中学生の頃は、将来は教師になりたいと思いながら夢中で練習に励んでいた。そんな気持ちで先生について行ったのかもしれない。
 大島(敏)あの当時は、先生に叱られるという恐怖感からの方が強かったような気がする。
 福島 「学校が荒れる」と、いわれているが、当時では考えられなかった。
 塚田 「いじめ」は、昔もあったのかもしれないが。
 大鷲 今は悪質だよね。
 福島 先生は「勝負は勝たなければならない」と、よく言っていたが、力のある選手だけでなく全員に目をかけていた。合宿でも全員参加していた。
 塚田 その時代に戻りたい?
 福島 戻りたいね。
 福島 出会いにはその時が必要になる。若すぎてもだめだし、年が上でもだめだ。小学高学年から中学生ごろが一番多感なころだと思う。もし教師になるのであれば、中学校の教師が面白いのかもしれない。
 大鷲 そう思う。
 福島 生徒と関わってくれる人は印象深く、生徒にとっても嬉しい。警察でも柔剣道を教える人は、土曜、日曜を犠牲にして子供と関わっている。それって人生にとっては「徳の心」なのかもしれない。人生のプラスになると思う。今の教師は、生徒とあまりかかわらなくなってしまったような気がする。
 福島 大学時代に培った事を自分の子供に教えられないような熱意のない先生は退場してもらうしかない。躾は家庭でやれというが、一面では学校の躾も大事だと思う。
 大鷲 中学校は予備校ではないのだから、色々な指導が出来なければならない。ただ勉強を教えるだけではだめだ。自らの後姿で教育を語れるような幅広い人間性が求められる。
 
大島(美)子供の興味と関心を大事にしてもらいたい。

 
司会 本日はいろいろと懐かしいお話を有難うございます。時間も5時を廻っておりますので、この辺で「カセ41会教育懇談会」を閉じさせていただきます。加瀬先生、お忙しいところ有難うございました。これからもご健康に留意され、益々のご活躍を期待しております。
                             熊谷市立三尻中学校への「出前授業」実践例