スペインのエンシエロ(牛追い)

フェリペU世大学・翻訳学部
元PROFESOR   加瀬  忠

 ラス・ロサス、アランフェスのエンシエロ
 スペインの秋祭りシーズンになると、ラス・ロサス、アランフェスの街のエンシエロ(牛追い)のことが思い出されます。
 私が、最初にエンシエロに参加したのは、ラス・ロサスの秋祭りでした。文部省の派遣でマドリッド日本人学校へ赴任したその年の秋です。
 エンシエロのことについては、学生時代に読んだアーネスト・へミングウェイの「日はまた昇る」の中で描かれている、パンプローナの「牛追い」の場面が強く印象に残っており、私自身の気持ちの中で、ずっと「いつの日か、スペインのエンシエロでトロスを追う」夢を持ち続けていましたが、その日は意外に早くやってきました。ラス・ロサスの秋祭りが始まって間もなく、スペインの友人からラス・ロサスのエンシエロの情報が伝わってきました。

 エンシエロ会場へ

 エンシエロは午前9時に始まりますから、当日の朝は少し早めに起きて朝食をとりました。服装も、白いトレーニング・シャツにトレーニング・パンツ、靴はランニング・シューズ。首と腰には赤いネッカ・チーフと赤い布を巻いて、地元の青年たちに合わせました。

 はやる気持ちを抑え、少し早めに会場に出かけてみました。いるいる、白い上下に赤いネッカ・チーフと赤い帯スタイルの若者たちが、もう大勢集まっています。コースを一通り市役所へ向かって進んでみましたが、店はみな鎧戸を下ろし、トロスの突進に備えています。公会堂の前からマヨール広場へ進んだところで、顔なじみの床屋の親父さんと会いました。
 「お早うセニョール、中へ入るのかね」と、私のことを心配してくれています。
 「今年のトロ(闘牛用の牡牛)は、ミウラのトロだから、荒くれだぞ、気をつけろよ。足がもつれて倒れたら、いいか、決して起き上がるな」と、むしろこちらの不安を煽るようなことを繰り返し言いながら、「まあ、とにかく一杯やろう」と、市役所前のバルへと向かいました。バルは鎧戸を下ろしていましたが、中は客で一杯です。祭り期間中、街の男たちはビノ(赤ワイン)を飲み続け、相当アルコールが回っているはずですが、まだ飲んでいるのです。

 ビノを一杯飲み、酢付けのキュウリと玉ねぎ、羊のチーズをつまんだところで、隣で飲んでいた男が「オーラ!・・チニート(中国の若者)、一杯やれ」と、ビノをおごってくれるのです。床屋の親父さんが「チニートではないよ。ハポネス(日本人)だ」と言うと、「そうか、ハポネスに乾杯」と、グイとビノを飲み、自分が腰に下げているボタ(ビノを入れる皮袋)を出して、今度はボタからのビノの飲み方を教えてくれるのです。顔にビノがかかってしまうのも構わずに、豪快にビノを飲んでみせるのです。「ハモン・セラーノを切ってくれ、一番上等なのをな」と、カマレロに注文し、「ここのケソ・マンチェーゴとハモン・セラーノ、イベリコは一番だ」と言いながら、私にボタを勧めます。私は、ボタを受け取り、教えられたとおりに静かに上に持ち上げ、飲もうとしたが、ビノは口の中に入らずに、鼻からほほのあたりへ飛び散ってしまいました。「やあ・・、いいぞハポネス、もっと飲め」と、大騒ぎです。2リットルものビノが入ったボタは意外に重く、これを頭上にかかげてうまく飲むことは、初心者には難しい注文です。

 「ビノとボタの買い置きはあるかね」私はカマレロに聞いてみました。
 「シ、セニョール、上等なのがありますぜ」との返事です。
 「そいつを一杯にして、とっておいてくれ、帰りに寄るから」と、ビノ2リットル分で800ペセタ(640円)、ボタ一袋1500ペセタ(1200円)を払い、チップを100ペセタ渡してバルを出ました。

 再度コースの点検と緊急避難場所の確認

 市役所前でトロスを放ち、マヨール広場前を駆け抜けると、BBVA銀行前の角でキオスコを左手に見ながら直角に右へ曲がります。さらに50メートルほど疾走したところで文房具店の前を、今度はマヨール広場を右手に見ながら左へ、ここも直角に曲がり、最後は公会堂前を5〜600メートルまっすぐに闘牛場へ向かいます。

 
私は、トロスに追われて逃げ切れなくなった場合の緊急避難場所を、文房具店前の角に決め、さらに柵を登って外へ逃げ切る場所を、最後の直線コースの最初の地点と決めました。他の場所では、トロスのスピードが、人間の逃げ切るスピードを上回るのではないかと判断したからです。

 「トロスに追われ、もしも足がもつれて倒れたら、起き上がってはいけない。その場に伏せなさい」。
 市役所から配布された文書の注意書きには、このような一文がありました。エンシエロのルールについては、スペインの友人からいろいろと聞いてはいましたが、インパクトの強い注意書きです。さらに友人のカルロスは、「パンプローナのエンシエロで命を落とす若者は、外国人が多い。逃げ切れずに倒れてすぐに起き上がるから、トロスの角にかけられて命を落としてしまうのだ」と、繰り返し説明し、「くれぐれも起き上がらないように!」と、念を押されました。

      

         私の住んでいたラス・ロサスの街のエンシエロ(牛追い)。市役所前付近。

 
午前9時ちょうど、花火の合図でエンシエロ開始です。中に入っている若者たちの一団がざわつきだしたところで、最初にやってきたのはトロスの露払い役、カウ・ベルをつけ去勢されたおとなしい牛5〜6頭でした。この牛は、人に向かうような攻撃性はないので、ウオーム・アップも兼ねて、牛の横にぴたりとついて一旦闘牛場前まで追いかけましたが、闘牛場前でくるりとU ターンをして、また来た道を市役所方向へ走り始めました。息が切れてつらかったのですが、再度マヨール広場前へ戻ったところでトロスを待ちました。

 一瞬の静寂の後、再び花火が上がりました。この瞬間、若者たちの一団の動きが戦闘的になり、皆同じ方向へ足を向けて構えています。かたずを呑んで市役所方向へ目を凝らしていると、間もなく若者の大きな集団が押し寄せて来ました。「きたな・・」と、思う間もなく、黒いトロスが全速力で群集を蹴散らしています。放たれたばかりのトロスは、まだ力をためていますから、スピードが衰えていません。それに、前夜から真っ暗闇の部屋に閉じ込められていたトロスを、急に放つわけですから、トロスは、興奮しきっています。半トンもある黒い筋肉のかたまりのようなトロスが疾駆する姿を、柵の中で見るのは、相当なインパクトです。トロスに蹴散らされた群集の中には、キオスコをやや過ぎたあたりの下りで転倒し、転がりながら側溝のほうへ逃げ、かろうじてトロスの攻撃から逃れる若者たちもいました。

 一頭目のトロスは、私の目の前をそのまま風のごとく走り去りました。「風のごとく」、そうまさにそのとおりの速さで、闘牛用のトロスは全く迫力が違います。
 
ラス・ロサスのエンシエロに参加を決める前に、追いかけられて極限の状態になったときに、トロスから逃げ切ることが出来るのかと、少し不安があったものですから、トロスのスピードはどのくらいなのだろうと、調べてみたのです。そうしましたら、パンプローナのエンシエロの場合、スタートからゴールの闘牛場までの距離が全長825メートル、この距離を半トンもある黒い牡牛は2分22秒で駆け抜けたという記録が残っていました。時速に換算すると、何と21.5キロになります。この間にサントドミンゴ坂で3人、市庁舎前広場で3人、メルカドの角で3人、エスタフェタ街で5人、電話局前から闘牛場下のトンネルで6人、闘牛場砂場で7人と計22名に怪我をさせ、病院送りにしているというのですから、すさまじい記録が残っています。

       

        
過去、幾多の若者の命を奪い、病院へと送り込んでいるエンシエロの難所、パンプロ
       ーナ市役所前広場。

 
間もなく、2発目の花火が打ち上げられました。二頭目のトロスが放たれる合図の花火です。
 ラス・ロサスの市役所でこの花火が打ち上げられるのは、べルナべウ・サッカー場のスペイン・一部リーグの試合で、レアル・マドリッドがゴールを決めた時に打ち上げられることが多いものですから、この花火の打ち上げ音を聞くと、サッカーの試合を連想してしまうのですが、今日の花火は、トロスの疾走合図の花火ですから、緊張します。

 キオスコの曲がり角から、若者たちの一団が一斉に向きを変え、こちらに走ってきました。きたな、こちらが考える間もなく、黒い筋肉の塊がすさまじい形相で近づいてきました。若者たちは、トロスにぎりぎりまで近づき、ぱっと散って鉄柵寄りに伏せます。タイミングが合わずに、一呼吸遅れた若者たちは、トロスに蹴散らされ、踏みつけられてしまいます。この光景をやや遠くから見ていた私の足は一瞬止まってしまいました。

 トロスが向きを変え、再び攻撃体制になったところで、黄色とピンクのムレタを持った男が道路中央へ進み出て、ベロニカの大技を仕掛けると、トロスは本能的にムレタに向かって突進しますが、見事にトロスの突進をかわし、二度目、三度目の技を仕掛けた後、群集の中へ消えてゆきました。リタイアしたマタドール経験者だったようです。


 ざわざわと、一瞬時間が止まったその瞬間、トロスは再び群集めがけて疾走をはじめました。
 油断のあった何人かの若者が足をもつれさせて倒れ、トロスは倒れた若者を踏みつけてスピードを増し、あっという間に、私たちの方へ近づいてきました。非常に危険な状態です。人と人とがぶつかり合って、思うように走れないのです。
 私が想定していた緊急避難は、トロスに追われて真っ直ぐに全速力で逃げ切る場合であって、群集にぶつかって思うように走れない事態は想定していませんから、こちらがパニック状態となってしまいました。群集を押しのけ、前へ、前へと進んでやっと全力疾走できる体制になりました。トロスは、何人もの若者を蹴散らし、すぐ近くまで迫っています。私は、かねてからの計画通り、最後の直線コースに入る角の柵に飛びつき、三段目、四段目と上り、一番上の柵を越えようとしたところで、意外な、これも全く考えていなかった事態が起こりました。柵の外側にいたスペインの男性が、「エンシエロに参加している男が逃げるんじゃない。勇敢に立ち向かえ」と、大きな声で言いながら、柵を越えさせてくれないのです。トロスはすぐ下の足のあたりにいます。ここで、再び中へ降りることは危険です。五段目の柵に両手でつかまり、両足はトロスの角が届かないくらいにまで曲げ、角傷を受けないようにしました。コースの中を見ると、押し倒された若者たちは、トロスの動向を見て、ある者は素早く転がって逃げ去り、トロスの視界で倒れている者は、まだ伏せています。何度か押し問答の末、やっと柵の外側に逃げ切ることが出来ました。

 
初めて加わったスペインのエンシエロは、初心者には少々無理のあるイベントであることを体験させられました。
 
三頭目から最後の六頭目までは、鉄柵の外でラス・ロサスの勇敢な若者たちに声援を送りました。


 ことの顛末をずっと見ていた床屋の親父さんは「お前、危なかったじゃねーか・・。お前の歳では無理なんだからな、おとなしくしているこった」と、たしなめられてしまいました。そして、「まあ、一杯やろう」と、またバルへ繰り出しましたが、市役所前のバルの隣りがチュレリア(チュロスの店)だったので、「親父さん、チュロスを食べようよ」と誘うと、「そうだな、バルでは、さっき飲んだばかりだから、チュロスを食うか」と、チュレリアへ足を向けました。チュレリアは、ここも一杯の客で、中は身動きもできないくらいの混みようです。「祭りだから仕方がないなー」と、親父さんは独り言をいいながら、カウンターへ近づき「チューロとエスプレッソをくれ、濃いやつを二つな」と、私の分まで注文してくれました。オリーブ・オイルのたっぷり入った鉄なべで次から次へとチューロを揚げています。ギュッと搾り出して丸め、さっと狐色に揚げるそのお手並みは見事なものです。「ここのチュロスは、この街で一番美味しくてな、近くの村からも客人が多いんだよ」と、親父さんは説明し、出来上がったチュロスと小さいカップに入ったエスプレッソ・コーヒーを持って、隅の出口へ移動し、立ったまま揚げたてのチュロスにたっぷりのエスプレッソ・コーヒーをつけて食べました。

 
闘牛士は命がけ
 
午後5時半、にぎやかな花火の合図で闘牛開始です。
 闘牛は、3人のマタドールがエンシエロで追い込んだ6頭の牡牛と相対しますが、この日は、スペインでは珍しく明け方まで降り続いた前日からの小雨で、アリーナのコンディションは不良です。重馬場と言った感じで、「これではマタドールも大変だろうな」と、余計なことを考えながらの二頭目、この牡牛はサリーダ・デ・トロス(牡牛の出の場面)から、ドカン、ドカンとアリーナの鉄柵の囲いを壊すなど、見ていてもその荒くれ振りは並大抵の牡牛ではありませんでした。半トンもある、黒い筋肉の塊りが暴れ廻るのですから、見ていてもすごい迫力が伝わってきます。「ミウラのトロスは、勇敢でなかなか良い牛だ」、床屋の親父さんはこの荒くれ牛を、「勇敢でよい牛」だというのです。

       


 
よく、牛は目が横についているので、「3メートル先の中央は死角になって見えない」「マタドールはその死角に立ってムレタをかざしながら、牡牛は動くものに反応すると言う習性をうまく利用して挑発しているのだ」と、言いますが、本当にそうでしょうか。私は、もし牡牛が少しでも突進する方向を変えマタドールに襲いかかったら、と思いながらいつも見つめているので緊張します。何しろ、マタドールのムレタをかざす芸術性・美しさは、向かってくる牡牛に対して、その軸足は少しも動かさないで、ぴたりと静止させなければならないのです。少しでも腰が逃げたり、軸足を引いたりしてはならないのです。

 
ラス・ロサスの闘牛の衝撃、それは、パソ・ドブレの曲が終わらない、あっと言う間の出来事でした。
 アリーナへ出て興奮しきっていた牡牛は、闘牛士のかざすカポーテではなく、私が心配していたように、闘牛士に向かって突進してきたのです。アリーナへ出てきた牡牛とマタドール迄の距離は4〜50メートル、この距離を半トンもある牡牛が走り抜ける時間は、ほんの数秒です。しかも、牡牛はまだ力を十分にためていますから、この場面でのスピードは大変なものです。闘牛士は、自分に向かって突進してきた牡牛に対して、体制を立て直す時間的余裕は無かったはずです。

 両膝をつき、カポーテを右側にかざしたそのカポーテではなく、まっすぐ闘牛士に襲いかかった牡牛は、そのまま闘牛士を踏みつけ、走り抜けてしまいました。
 「あっ・・、何と!」
 倒れたままの闘牛士、しかし、牡牛はまた向き直って本能的に倒れた闘牛士に襲いかかってきます。もう、絶望的な光景でしたが、次の瞬間、三頭目の牡牛と相対するチームの闘牛士とバンデリ・ジェーロがアリーナへ飛び出し、猛り狂った牡牛を引き寄せてくれました。

 数分経ったでしょうか、フラフラと立ち上がった血だらけの闘牛士は、カポーテを持ち直して、再び牡牛に立ち向かいました。二度、三度・・見事な技でカポーテをかざして牡牛と相対し、観客の「オーレ!」の大声援を受けましたが、いかんせん足元がふらついています。このままでは、再び牡牛の角にかかり放り出されてしまいます。

 私が今まで見てきたラス・ベンタス闘牛場やマハダ・オンダの闘牛では、闘牛士が牡牛の角傷を受けても、闘牛士の交代はありませんでしたが、この日のラス・ロサスでは、次のチームの闘牛士が交代し、間もなく救急車が駆けつけ、倒されたマタドールは病院へ運ばれました。

       

      
光と影のスポーツ「闘牛」は、生と死が隣り合わせの厳しい戦いでもあるのです。