スぺインの春・秋祭りの「エンシエロ(牛追い)」と「闘牛」

 
                                フェリペU世大学・翻訳学部
 
                                                 元PROFESOR   加 瀬   忠

 本稿は、拙著「マドリッド通信」で発信した「スペインの春・秋祭り(牛追いと闘牛)」に加筆・訂正を加えたものです。
 マドリッド日本人学校在職中は、ラスロサスやマハダオンダの春・秋祭りの闘牛と、街を上げての「エンシエロ(牛追い)」を楽しんだことを思い出します。

 入場行進
 
午後5時半、にぎやかな花火の合図で闘牛開始です。
 パソ・ドブレの行進曲にのって、先頭に三人のマタドールが並び、その後ろにバンデリジェロ、馬にまたがったピカドールと馬丁が続き場内を一周します。これから始まる闘牛士と牡牛の命をかけたドラマ、真実の瞬間への誘いと期待感で胸は高鳴ります。

 
危険なサリーダ・デ・トロス(牡牛の出)
 「牡牛の出」の場面です。前日から暗い小部屋で長時間過ごした牡牛は、アレナへの扉が開けられたことに本能的に気づき、注意をそちらへ向けます。その瞬間、牡牛の背に飼育牧場を示すデビサ(色リボン)が打ち込まれ、牡牛は明るいアリーナへと向かって駆け出します。半トンは優にある黒い筋肉の塊が駆け抜ける様は、見る者を圧倒します。
 この時、気性の激しい牡牛は、アリーナまでの鉄柵に衝突し、攻撃しながら突進します。

      
      
サリーダ・デ・トロス(牡牛の出)の場。牡牛は、まだ十分に力をためています

 筆者は、この瞬間牡牛の動きと同時にマタドールの姿を追うようにしています。マタドールは、この後、自分と対決することになる牡牛の動きを鋭く観察すると同時に、ほとんどのマタドールが十字を切り神に祈っている姿が印象に残ります。
 
アリーナへ出てきた段階で、勇敢な良い牡牛と臆病な悪い牡牛はすぐに見分けがつきます。勇敢な良い牡牛は、アリーナへの出口で立ち止まることはせずに、カポテをかざすマタドール、バンデリジェロへ向かって突進し、あるいはアリーナの囲いの柵をめがけて攻撃を繰り返します。臆病な悪い牡牛は、アリーナへ出たところで足を止めてしまい、周囲をキョロキョロと見渡して前へ進もうとしません。

 「今年のトロスは、ミウラ育ちだから気性が激しく勇敢で、よいトロス揃いだぞ!」、床屋の親父さんは、得意そうに何度も繰り返し「ミウラ育ちのトロス」を持ち上げます。

 
ラス・ロサスの闘牛第3日目の衝撃、それは、パソ・ドブレの曲が終わらない、あっと言う間の出来事でした。
 アリーナへ出て興奮しきっていた牡牛は、マタドールのかざすカポテではなく、筆者が心配していたように、マタドールに向かって突進してきたのです。アリーナへ出てきた牡牛とマタドール迄の距離は30〜40メートル、この距離を半トンもある牡牛が走り抜ける時間は、ほんの数秒です。しかも、牡牛はまだ力を十分にためていますから、この場面でのスピードは大変なものです。マタドールは、自分に向かって突進してきた牡牛に対して、体制を立て直す時間的余裕は無かったはずです。
 両膝をつき、カポテを右側にかざしたそのカポテではなく、まっすぐマタドールに襲いかかった牡牛は、そのままマタドールを踏みつけ、蹴散らして走り抜けてしまいました。
 「あっ、何と!」
 倒れたままのマタドール、しかし、牡牛はまた向き直って本能的に倒れたマタドールに襲いかかります。もう、絶望的な光景でしたが、次の瞬間、2頭目の牡牛と相対するチームのマタドールとバンデリジェロがアレナへ飛び出し、猛り狂った牡牛を引き寄せてくれました。
 数分経ったでしょうか、フラフラと立ち上がった血だらけのマタドールは、カポテを持ち直して、再び牡牛に立ち向かいました。2度、3度、見事な技でカポテをかざして牡牛と相対し、観客の「オーレ!」の大声援を受けましたが、いかんせん足元がふらついています。このままでは、再び牡牛の角にかけられ放り出されてしまいます。
 筆者が今まで見てきたマドリッドのラス・ベンタス闘牛場やアランフェスの闘牛では、マタドールが牡牛の角傷を受けても交代はありませんでしたが、この日の闘牛では、次のチームのマタドールが交代しました。

 場内のざわつきが収まらないまま、次のファンファーレが鳴り響きました。
 次の牡牛の出です。マタドールは、ほぼソル・イ・ソンブラのアレナ三分の一に位置し、牡牛の突進を待っています。
 アレナへ出てきた次の牡牛も、まず四方八方でカポテをかざすバンデリジェロとアレナの柵への突進を繰り返した後、中央のマタドールへ向かいました。まだまだ力を十分にためていますから、そのスピードと迫力は、見ている私たちの方へも伝わってきます。
 マタドールは、右手方向から突進してきた牡牛の攻撃に対して、見事にカポテをかざし、右足はぴたりとアリーナに吸い付いたまま、微動だにせず、且つ腰を引かずに左手上方へ大きくカポテを広げました。

      
 
   マタドールへ突進を繰り返す牡牛。500キロ以上の躍動する牡牛は、迫力十分です。
     「オーレ!」、見事なマタドールの技術と勇気に、観客席も一体となっての声援です。

 牡牛は再び向きを変え、今度は左前方からマタドールへ突進します。マタドールは、左前方からの牡牛の突進に対しても左足は少しも動かさず、カポテを左から右へ流し、右手上方へ大きくかざしました。何という美しさだ。「オーレ!」、再び観客席の大合唱です。二度、三度、マタドールによるカポテの見事なベロニカ技が披露されました。「トロもいいが、マタドールはそれ以上だな。第一、姿がいいよ」と、床屋の親父さんは、マタドールを褒めちぎります。

 
スエルテ・デ・バラス(槍突き)の場
  次に2騎のピカドールが登場しました。槍突きが行われます。
 
アレナ中央付近から、マタドールがカポテを使いながら、馬にまたがったピカドールの方へ牡牛を誘導します。なかなか言うことをきかない牡牛をだまし、カポテをさばき少しずつ誘導しますが、その誘導の華麗さと、牡牛が向きを変えピカドールに向かって突進する姿は、牡牛の持つ秘めたる攻撃力と、さらにそれを上回るマタドールの優れた技術を連想させ、迫力十分です。

       

 
     ピカドールの槍突きの場。牡牛の攻撃力は、時に馬もろともピカドールを倒す時
       もあります。

 
この槍突きの目的は、牡牛の首筋を槍で刺し切り、牡牛の首を下げさせることにあります。この場面は、第2場スエルテ・デ・バラスの見せ場でもあります。ピカドールの腕が悪く、うまく首筋に槍が刺さらないと、牡牛の首が下がりません。牡牛のクルス(肩甲骨の隆起部分)にしっかりと刺しこまないと、第3場でマタドールが倒される原因となりますから、ここではどうしてもピカドールに頑張ってもらいたい場面です。
 しかし、牡牛も500Kg以上ありますし、命がけですから、馬もろともピカドールを倒してしまうこともあるのです。


 スエルテ・デ・バンデリジョ(短銛)の場
 先端に銛のついた長さ60センチのバンデリジョ(短銛)を両手に持ったバンデリジェロが二人登場しました。牡牛に向かって左右から、計6本のバンデリジョを牡牛の背に振り分けて打ち込むのです。
 牡牛に向かって左へ、あるいは右へ抜けながら銛を打つ打ち方と、一旦正面で待って、フェイントをかけ、銛を打つ打ち方がありますが、きょうのバンデリジェロは、正面で一旦待つことはせず、左右から逃げるように打ち込もうとするものですから、バンデリジョ(短銛)がうまく刺さらずに、嫌がる牡牛に振り落とされてしまうのです。
  「何だ、臆病なバンデリジェロだ。もっと正面からしっかりと打ち込むんだ!」と、床屋の親父さんは大層不満げです。「最近は、牡牛の正面から駆け込み、正面で一旦待って、同時に、きれいに打ち込むバンデリジェロが少なくなった」。
  親父さんの話では、バンデリジェロがきれいな技を見せてくれないと、闘牛の面白さ、醍醐味は半減されてしまうといいます。

       
   
   スエルテ・デ・バンデリジョの場。バンデリジェロが短銛を二本ずつ、計6本牡牛
       の背に打ち込みます。

 スエルテ・デ・ムレタ、スエルテ・デ・マタールの場
 
赤いムレタと剣を手にしたマタドールが登場しました。
 他のピカドール、バンデリジェロは全て退場し、マタドールと牡牛だけの真剣勝負の時、闘牛の最高の見せ場です。闘牛は、チームに与えられた時間は20分ですから、「真実の瞬間」までの残された時間10分〜15分の死闘になります。

        
 
      両膝をついてムレタをかざすベロニカの大技。難度の高いこの技は、マタドール
        の研ぎ澄まされた繊細な神経と、強靭で大胆な行動体力が求められます。

 マタドールは、赤いムレタを右に左に使い、牡牛を翻弄します。この時、マタドールの右足、左足は、カポテの演技の時のように、少しも動かさず、腰は逃げずに美しい姿勢を保ったまま牡牛に立ち向かい、時に牡牛の角ぎりぎり、ほんの数センチの距離を保ったままムレタを裁いています。実に美しい姿です。

 
よく、牛は目が横についているので、「3メートル先の中央は死角になって見えない」「マタドールはその死角に立ってムレタをかざしながら、牡牛は動くものに反応すると言う習性をうまく利用して挑発しているのだ」と、言いますが、本当にそうでしょうか。筆者は、もし牡牛が少しでも突進する方向を変えマタドールに襲いかかったら、と思いながら見つめているので緊張します。

        

 
アドルノ(見得)のポーズ
 
右に左に牡牛を翻弄し、牡牛を完全に自分の支配下に置いたマタドールが、牡牛に背を向けました。
 マタドールがアドルノのポーズをとっていることはわかっていても、こちらの緊張感は増すばかりです。

        
 
      牡牛に対して背を向け、アドルノのポーズで見得を切るマタドール。しかし、こ
        の瞬間も全神経は背中の牡牛に向けられ、集中力を切らすことはないのです。

 真実の瞬間
 
マタドールは80センチの剣を再び右手で持ち、両足をそろえて二・三度つま先だってクルスの部分に狙いを定めます。牡牛の肩甲骨の間、ほんの数センチのピン・ポイントを狙って一気に剣を突き刺しました。

        
 
      闘牛における最後の殺しの場面を『真実の瞬間』と呼びますが、へミングウェイ
        は「午後
の死」と「危険な夏」でその場面をリアルに描写しています。

 挨拶の場
 
素晴らしいマタドールの演技に対して、観客は拍手喝采です。そして白いハンカチのウエーブが、闘牛場を駆け巡りました。プレジデンテは、マタドールの見事な演技に対して、「牡牛の耳を与えよ」の白いハンカチを垂らしました。

                      ラス・ロサスのエンシエロ(牛追い)へ